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夜に、外を歩く時に考えることのうちのひとつ。

外を歩くには少し勇気がいる季節になった。
肌寒いより少し上の、気を抜くと歯がガクガクする程の夜だ。
悪くはないけれど。

夜のさんぽのお供は、ビールという風に決まっていたのは夏のことで、この時期のお供は悩ましい。
僕はそんなに頭が良くないから200mlのウィスキー、それもScotch whiskyをコンビニで買う。いつもいる目配せしてくれるお姉さんは今日は休みらしい。
物足りないコンビニを後にして、やっと夜のさんぽが始まるんだ。

なんとなくだけれども、 whiskyは、寒い国の飲み物って気がしている。そういう思いもあって、ひと舐めするとカラダはポカポカするようなしないような、少なくとも静まり返った夜に飲むウィスキーは、美味いんだ。他にはいらない。空も澄んでるから。

違和感の違和という言葉について考えることになった。
「違うし、和むんだ。どっちなんだ、オープンサンドみたいじゃないか。」と、思ったりしてみた。

この話には先が無い。
ふくよかな旨味も無いけれど、違和感の違和という言葉について時に人は何かを思わねばならない気がする、

サラサラ流れる時間の中で、心に止まるモノゴトが、ひとつふたつあるならば、損得にかかわらず、手に取れるゆとりくらいは、頂きたい。

コンクリートから咲く花に何も感じなくなってから久しいのだけど、理科の勉強をすればするほど、あれは何か物凄いことのように目に映った。

大人になり腐って、感動することの意味を理解すればするほど、感動から遠ざかってゆく様が、秋を理解することの侘しさにも通じていて、もうすぐ僕はボアを着たくて仕方なくなるのだと思う。

月が半分だけ輝いていたから、もし誰か同じように、空を見上げるゆとりがある人がいるなら、そういう人にもう半分をあげることにした。

もう少しだけ、夜を歩いてみようと思う。
whiskeyはまだ残っている。
それもまたひとつの違和だ。

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