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幽霊、メールアドレスを作る。

 昔、仕事を手伝ってもらっていた従弟から電話があった。
「あんたの仕事問い合わせがこっちに来るの、マジでいい加減にしてくれないか。自分で窓口を作れ」
 2014年に活動再開したときと同じ台詞を言われたのだが、はてどうしたものか。
 厳密に言うと、2009年に批評家をリタイアし、5年の療養リハビリ生活を経て、2014年からサイゾーの連載コラム『批評なんてやめときな?』で活動を再開したのだが、見事に浦島太郎状態で業界との接点がなくなっていた。
 とはいえ、web上に窓口は作る気がなかった。面倒くさいから。

 昔、作っていたwebサイトとメールアドレスはプロバイダの契約切れでそのまま消滅したので、新しいメールアドレスを作ったが、これも公には告知していなかった。
 そのせいか、リタイア前の業務の一部(批評ではない)を引き継いでもらった事情から、たまの問い合わせがこの従弟に届いていた。
 ところが、この従弟は現在の筆者よりはるかに多忙となっている。他人のマネジメント(?)なんてやってる場合ではない。
 なので、その高圧的な物言いには文句を言いつつも平謝りするしかない。

 何もしなかったわけではない。
 活動再開にあたって、ライター仕事の問い合わせ窓口はサイゾー編集部にお願いしていた。
 別の会社に所属を勧められた記憶もあるが、そこは党派性が強すぎて自由に仕事ができなくなる危険性があり、断った。
 なので、サイゾーに所属しているわけではないが、コラムを連載している間は好意に甘えさせていただくか、と思っていた。

 実際、ZAITENの連載コラム『時代観察者の逆張り思考』は、サイゾーの連載コラムを読んでいた担当氏からサイゾー編集部に問い合わせがあったことから始まったのだが、皆が皆、サイゾーの連載コラムを読んでいるわけではないし、窓口を頼んでいることも年に一度くらいしか告知していない。
 それで、冒頭の話になったわけだ。
「ていうか、何でweb上に窓口を作らないんだよ」
 それはその通りだ。
 しかし、SNSの面倒くささはパソコン通信や初期インターネットで思い知っているので、誰もフォローせず、結局、情報収集に使っているだけだ。
 noteのアカウントも以前、一度取ったのだが、結局、使い道が思いつかなかったので消してしまった。
 仕事以外で文章を書く意欲がどうにも湧かなかったのだ。
 取った理由は大昔、雑誌媒体に書いた文章をはてな匿名ダイアリーに無断転載されて憤慨し、衝動的に取ったのだが、自分で改めて再録する気は起きなかった。
 基本的に、web上で何かやろうとする気力がないのだ。 

 このあたり、これまで単著を作ろうと思わなかった理由でもある。
 初出のときには自信満々で書いているのだが、時間を経ての再録となると、どうにも自信がない。
 学生バイトの木っ端ライターから始まった文筆稼業だから、「雑誌は一ヶ月で消えるもので、一ヶ月で消えるための文章を書いているんだ」という基本認識なのだ。
 批評なんてものは、ある程度はやけっぱちの産物であり、それを再録して単著を作るのは恥知らずのように思えたのだ。

 かと言って、書き下ろしで一冊書くほど、批評対象に偏執的な熱意があるわけでもない。瞬間の熱意を時評的に書く手法でしか書けなかったし、その思想的基盤になっていたのは編集者をやっていた頃の経験と知識だけだ。
 言い換えると、編集者がその時々の流行を腑分けしていく手法でしか対象を語れなかったのだが、その手法からのやけっぱちな逸脱だけが、本来、批評と呼ばれるに足る強度を持つのだ。
 2009年に批評家を辞めたのも、そのあたりで行き詰まったからだ。

 付け加えると、その肩書の界隈で、図々しく飯を食うための政治勘もなかった。狡猾に立ち回って媚びを売るのが得意なひとは楽でいいな、と思っていた。
 さっきも書いたけど、党派性というものが嫌いなので、結局、界隈の人々とはことごとく疎遠になり、独りでやっている。
 というか、コロナ禍が始まってからは、ZAITENの担当氏としか直接顔を合わせていないな、業界人。あとは全部メールで済ませている。

 自分のやっていることがコラムニストだと認識できたのは、活動再開して4年経った2018年頃のことだ。
 それまでの4年間はただ、〈元〉批評家と名乗っていた。プリンスかよ。
 客観的に見れば、批評家を自称していた時代も、やっていることはずっとコラムニストだったのだが、いったい何を勘違いしていたのか。
 そして、コラムニストと名乗ったら、かなり気が楽になった。
 今だったら、過去原稿を使って単著も作れる。その程度には図太くなった。
 実際に作るとしたら、かなり取捨選択して加筆修正もするんだろうけど。20年前の原稿なんて、そのまま再録しても当時の文脈が分からないから。

 さて、活動再開後に始めたサイゾーの連載コラムは、連載8年目に突入し、気がつけばキャリアで一番長い連載になっていた。
 前任の批評家が(下世話な実話誌に書くことが、ステップアップの足枷になりつつあったので)編集部と大喧嘩して、いきなり連載を打ち切ったので、その枠を引き継ぐ形で始まったのだが、いつの間にか前任者の連載期間より長くなっている。
 『批評なんてやめときな?』というコラムタイトルも、前任者が批評家の批評コラムだったからだが、いまとなっては何を意味しているのか、さっぱり分からないな。
 そのサイゾーも今年の春から隔月刊になったので、空いた月に何か文章を書こうか、と考えた。サイゾーとZAITENはちょうど15日おきの〆切だったから、すっかりそのリズムが身に付いているのだ。

 現在、サイゾーの『批評なんてやめときな?』はサブカルチャー界隈の時事的な話題、ZAITENの『時代観察者の逆張り思考』はテレビやラジオといったメディアの時事的な話題を主に扱っている。
 初期は時事的な話題がない身辺雑記コラム風の回もあったと思うが、そのあたりは歴代担当氏のカラーが反映されている。
 ZAITENはずっと同じ担当氏だが、サイゾーは昨年から3代目だ。大昔にやっていた対談連載から数えれば4代目だ。

 なので、このnote版は身辺雑記コラム風の書き方になるんだろうな、と思う。たぶん隔月のスローペースだけど。
 あと、肝心の本題というか、公の連絡先となるメールアドレスを作った。

 今後、更科修一郎への仕事の問い合わせは、このメールアドレスに送って欲しい。これまで通りサイゾー編集部宛でもいいけど、どっちにしても従弟に怒られるのはもう勘弁だ。
 そして、これの告知があるので、今回のnoteは渋々続けるしかない。


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