さらしくび

あれやこれや書く人です

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最近の記事

月村

Aエンドなのにラーメン食ってんじゃねえ!!!ってしてました。 親愛度10見ると、ちょっと含むものがあるなあのラーメンってなりました。 異物混入ではないです。 何だかんだ俺が学園に手を付けるかってなったきっかけはこいつの曲。 単純にかっこいいんだよ。 んで内容、ぱっと見クールなのになんか妙にギャグキャラなんだよね。 ラーメンといいおんぶといい5㌔といいネタに困らない女。 そういう方面なんだけど、一通り見るとそこまでネタに振り切れてるわけっじゃないタイプでもある。 だってそん

    • 花海

      バリバリにネタバレを踏まえた感想文。 まあ五人しか親愛度コミュコンプしてないからその五人分だけしか書けないんだけどな!!! 画像の類を一切省いて文章だけで進めていきます。 結局は自分でやって欲しい気持ちはあるし。 花海咲季の説明文をまとめると「勝ち気で負けるのが嫌いな器用な神童」になる。 この文章に嘘はない、というか公式のキャラ説明自体には俺にわかる範囲で嘘はない。 ただこの説明文と第一印象から類推される「自信家で勝負事を好む戦闘狂」というイメージは花海咲季の実情とはかなり

      • ずっとアイマスしてる

        すごく良くないハマり方をしてる、やべえすげえ楽しい。 シナリオが楽しいだから読みきったら飽きる気もするけどそれはそれとして今が楽しいからヨシ。 アイマスってジャンル自体はそれなりに履修してたしデレシャニ辺りはちゃんと手を付けてたんだけど、まああまり楽しくはなかった。 キャラは可愛いしその掘り下げのシナリオも悪かないんだけど、でもそれだけだなあって感想で。 キャラの掘り下げも大事なのはそう、それがないと寂しいもんな。でもせっかくシナリオなんだから起伏が欲しい、熱量が欲しい、情動

        • 私の世界の終わりに

          これを受けてそこそこ自分が普段から思ってるものの話 「もしも明日世界が終わるなら」 「もしも自分に明日がこないとしたら」 そんな仮定は結構見かけるし、全く考えたことがない人はそうそういないだろう。それがどこまで真剣なものなのかはともかくとして。 自分は、多分何もしないんだ。 「日常を維持する」わけでもないし、「後悔のないようにする」わけでもないし、「回避しようと手を尽くす」こともなく。 何もなく何もせず時間を潰して数時間前に布団に入って終わりにする。 後悔も未練も全部消え

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        • 明日もきっと色のついた雨が降る
          2本
        • ガラルゴミ拾いの旅
          22本
        • よくわからないポケモンの話
          45本
        • 何でもないおはなし
          113本
        • 創作の注意点 リテイク版
          10本
        • 1から作る創作
          7本

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          歩幅

          「合わないな」「自分と違うな」と思うところは誰に対しても一定数ある。 それがなかった人は、多分存在しないかな。 自分が特殊であるというよりもそこに疑問や息苦しさを感じやすい性質なのだろう。 まあそこは割とどうでもいいんだが。 そういうところに直面したとき自分は無理に追いかけないようにしている。 私は私の歩幅で人を愛すのだ、と言えば聞こえはいいか。 無理に人を追いかけて嫌いになりたくはないし、それ以上に「その人の全てを愛していなくてはいけない」とは思いたくないもので。 好きな

          忘却は性質である

          昔から復讐譚を見ててときたま思うことがある。 「その復讐を忘れてしまうことは悪なのか」という議題、復讐を忘れて綺麗さっぱり幸せになることは歓迎されない価値観なのか。 この忘れるは記憶喪失だなんだという話ではなく、単純に時間の経過によりその記憶が過去になり失われていくこと、ただ忘れることを指す。 嫌がる人は少なからずいるんだろう。この国、というより人間の価値観として一定数「正義が為されること」は共通項として持っていて、国や文化が違っても「やられたことをやり返す」ことは共感を覚え

          忘却は性質である

          幾許かの懐かしさ

          そんな夢を見た。 夢の内容がとかそこであった人がではなくて、懐かしい不安と孤独がそこにあった。 ここ数年それはなくなったと思ってたけどどうやらそうではないらしい。 あの頃と地続きのところに自分はいて、あの頃と変わりなくそういうものがここにある。どこを見ているかが変わったりそれぞれが膨らんだり萎んだりしただけで含まれているものそのものはなくなっていないのだろう。 それが良いのか悪いのかは俺にはわからない、自分の評価を自分で下すことほど無意味なことはきっとないから。 「明日死ぬ

          幾許かの懐かしさ

          例えば楔のように

          難しい話をするわけじゃないよ、違うよ 涼しい夜の空気に触れて、少し思ったことがあっただけ いつものように自分と他人の話 部屋の中の空気が外のものと入れ替わることに感じるものがあったような気がする 自分は、他人があまり好きではない 何度も言っているから随分と今更の話だし、随分と昔からその傾向があってそれはこれからもきっと変わらないのだろう だけれど他人と関わることは嫌いではない 一見して矛盾しているし、何なら見返してもすっかり矛盾していると自分でも思う 自分一人でいるのが好

          例えば楔のように

          何もない日に思うこと

          今日と同じ明日が来る、今日と同じ明日になる 今日を損なわない明日が来ることはその実保証されていないのに、どうしてそう信じているのだろう 「明日に嫌いになるかもしれない」「明日に事故や病気にでも遭うかもしれない」「明日にもっと大切なものに出会うかもしれない」なんてことをいつも忘れてる 今を維持する努力、失わないようにする保証、そういうものに憧れがある、あったなあ ほんの冗談のように「私以外の誰かと幸せになってくれ」と言うけれど、結構真剣にそれを願っている部分もあって そうすれば

          何もない日に思うこと

          であればきっと他人が良い

          人との距離感を測るのが得意不得意とはまた少し別の話 あくまでこれはスタンスの部分だから、意識的に間違えているし誤っている いや親しい人と自身が面識のある人が不和になったときは基本「どちら側にも立たない」をするのよ どちらかに肩入れするのではなく、どちらとも一線のある関係を保つ その表現もちょっとおかしいな 「負の感情を軽率に肯定しない」ことが一番大事で、それを助長しないことが肝要だと思う 正しさの後押しは正義という武器を与えることになってしまうから 俺は親しい人には嬉々とし

          であればきっと他人が良い

          どうか願わくば

          昨日は途中まで距離を限りなく取り続けてる理由について考えてた 途中からはPCファンのことだけを考えてた それでちょっとわかったことがあったのが、世の中不思議なもの 俺は人間関係に関して、誰も彼も無になるものだと思ってる 万人に当てはまるものではなくただ自分の末路として だから他人に誠実であろうとするし、優しくあろうとする 立つ鳥跡を濁さずの精神性がきっとその性質の根底 少なからずの希死念慮と多量の自己否定があるのは否定しないがこれはもう拭えないものだから その上での次善策を

          どうか願わくば

          心の距離

          好きな作品を読み返して出てきた表現 「心の距離が遠い」 パーソナルスペースが広いとはちょっと違うのよね 親しくするのに抵抗はないし、触れる触れないみたいな部分に問題があるわけではなくて、ただ単純に心の距離が遠い 何かがあっても頼らない、頼りにされるとも思わない、自分が他人に何かができると思っていない、みたいな その癖他人がいないことを寂しく思ったりその振る舞いに苦しくなったりもする そのキャラクターを見てまあ少なからず「自信が低すぎないか」とか「傲慢な考え方でもあるな」とか

          おヘラヘラ

          そんな古い話、昔の話 自身の性質そのものは早々変わっていないので、そこそこ昔から誰か個人に肩入れしたりしてた それも結構初期から追いかけていたようなものだったので 思い入れがなかったわけがないしそれなりに寄せているようなものもあった ただこう、性質が変わってないので全く近寄る気はなかった 節度を弁えていたとも言う そうして数年が経って あまり知らんリスナーと付き合い始めた話を聞いた 結構普通にガッカリというか、ビックリというか 「あれ?自分は?」という気持ちがあった 振

          他にどうしようもなかったからさ!!!

          「どうして魔法があるのか」という問いに対してこれを返すゲーム 四月馬鹿達の宴です 好き、すごく好き このゲームにおける「魔法」の立ち位置がとても好き 万能なんかじゃないし素敵な夢を見れるものでもない ただただ逃避であり諦めでしかないもの 「もう魔法を信じる歳じゃない」と言ったラスボスと 「信じてないお前の魔法なんか 少しも怖くないぞ」と言い切るヒロイン これが同一人物の現在と過去なんだからもう苦しさしかない 四月馬鹿達の宴という作品は、作中作と言ってもいい構造をしている

          他にどうしようもなかったからさ!!!

          あなたの全てを愛しました

          そう言い切れる人を二人、いや三人だけ抱えている 自分は物の好き嫌いが激しい生き物だから「ここは好きだけどそこは嫌い」という判断をする それでなおある程度理性のある生き物として好きなところだけ愛する選択ができてるのは年月のお陰だな 加えて俺が好きになる人ってこう、良くも悪くも癖が強いというか、アクが、思想が強いタイプがそこそこ多いじゃない だからどこかで決定的に隔絶してたりするんだよ それが全くなかった人が何人かいる というわけではないんだ 自分の全てを覆してまでその部分す

          あなたの全てを愛しました

          ただ空白を知覚したくなかっただけ

          漫然とした息苦しさと、由来のわからない痛みを抱えている 理由がないからそれを解消する術はないし、なかったころすら覚えてない 思い出せる限り全てにこの息苦しさと、どうしようもなさと、痛みがあるし他者への諦めがある だから自分は寝ることが好きだ 眠ることが好き、それで何かを得るわけでもなく、その経験に快いものを見い出してるわけでもなく 寝ている間は苦しくなくて、痛くなくて、時間が早く過ぎるから 明日は来てほしくない でも起きていると絶え間なく物を考えてしまうから、時間単位の幸福

          ただ空白を知覚したくなかっただけ