対極は優劣ではない

このnoteの内容と少し前に私が考えていたことが偶然にもリンクしていたので、まとめてみたくなった。
私の場合、考察というよりはただの具体例の提示である。以下に出てくる内容に関して個人的な意見を述べるつもりは全くなく、〈思考〉と〈感情〉の話の例として用いることを前置きしておく。

先日とある障害者の方が発信した内容がTwitter内で物議を醸していた。その方の発信した内容については詳しく触れないが、『身障者が旅行をするには依然として合理的配慮が不十分である』といったことが大まかな趣旨だったと思う。

当事者にとっては深刻な問題である一方で、マンパワー不足や合理的配慮の適用範囲についてなど一筋縄ではいかない内容だなと思いながらリプ欄を開くとそこには、「感謝の気持ちがないことが不快だ」という意見が多くて驚いた。
このツイート以外にもTwitterではよくこうした思考と感情の論争になっている場面を見かけることがある。

この例で言うと、私はこの方が提起した問題について
・何が背景にあるのか
・どういう意見が想定でき、どうしたら解決できるのか

と言ったことを考えていた。これは〈思考〉をもとにして検討、判断していたため、そこに感情の要素はほとんどない。

一方でリプ欄に多くあった、感謝の言葉がない、とか配慮する側のことを考えていない、などといった意見はまさに〈感情〉をもとにしたものだろう。
このツイートの場合、配慮した側への共感が多く、ツイート主に対しての批判に繋がったのではないかと思う。この逆で、ツイート主に対して共感を示す場合もよく見かける。

Twitterの場合、つぶやきという自身の思いや考え、意見などを読んだ人が共感したらいいねやリプライをするという構造なので〈感情〉機能をメインに使う人向けのものなんだろうなと思う。リプ欄の論争をみて、論点がずれていると感じる人の多くは〈思考〉優位の人なのかもしれない。

この〈思考〉と〈感情〉は対極にある分、それぞれの論点で議論すると論点がずれるのは当然のことだろう。優劣があるわけではなく、そもそも見ている視点が違うだけの話なのになと思うことも多い。

余談だが私の場合、16タイプだと〈感情〉優位タイプと出るが、元々は〈思考〉優位に考えることが多かった。しかしながら私の仕事は共感を何よりも重要視しているため、自然と〈感情〉を動かすことが増えたように思う。仕事が絡まない時には意識しないと共感できず、あまりにもニュートラルになってしまうこともある。このように、一人の人の中にも両面待ち合わせていて普段は得意な方が出てくるということだと理解している。

考えれば考えるほど、ユングのタイプ論は奥が深くて面白い。


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