本当の主人公



「ファンタスティック・ビースト」シリーズをようやく見た。話題になっていたことは知っていたしハリーポッターシリーズのファンとして楽しめることも知っていたけど、人から勧められると途端に見たくなくなる厄介な性格につき数年寝かせていた。


2作品見た感想として最初に思ったのは、これはニュートの物語ではなく、ダンブルドア、そしてグリンデルバルドの物語なんだということ。
ハリーポッター以上に「死」と「愛」のテーマがダイレクトに描かれている。なんというか…ファンタジーというオブラートに包まれているからこそ、安心して見られるギリギリの線を攻めたね、という感じ。


ネタバレにならない程度に感想を少しだけ。
私の中でダンブルドアは「偉大な魔法使い」、「圧倒的な強さ」、「実態の見えない怖さ」というイメージだったんだけど今作の若きダンブルドアは随分と違って見える。妙に人間らしいというか。ぐっと距離が縮まった印象。
ダンブルドアにもエゴがあるんだ…そしてそれを統制できない弱さも持ってたんだと思うとなんだかざわざわしてしまう。なんだ、賢者の石の時みぞの鏡で見てたのは靴下じゃなかったんだ、って。
がっかりしたわけではなく安心した。肝心なことは何も話してくれない秘密主義だった訳ではなく、そこには苦悩と葛藤があったとわかったから。



グリンデルバルドは名前しか知らない闇の魔法使いだったけど、このキャラクター結構好きかもしれない(決して演じているのがジョニーデップだからではなく笑)。
なんというかヴォルデモートとは違うカリスマ性。自らは手を下さない。人の心を操る巧みさ、言葉のうまさ。恐怖で支配するのではなく、人の奥底の弱みを引き出してつけこむ。これだと離れられなくなるし盲目的になるのもわかる。もしかするとダンブルドアもその一人だったのかもしれない。愛なのか、愛に似た洗脳のようなものだったのか…。

血の誓いまでたてて、互いに戦わないことを約束する関係性ってある意味すごく脆くて。この後何が起きるか知っているから余計にそう思うのかもしれない。

信頼や絆みたいなものは可視化することはできないし、だからこそ尊いものだと思う。ただこれって立場云々ではなく比重が同じであることが絶対条件という気がする。そこのバランスが崩れると成立しないわけで。
過剰な理想化は畏怖を生じさせるし、強すぎる憧れは嫉妬となり敵意にもなりかねない。

「兄弟以上」への思いと「より大きな善」を天秤にかける日がくる日がそう遠くないことをわかった上で、二人の関係性や互いへの想いを考えると苦しくなる。だからこそやっぱりこれはダンブルドアを主人公に置くことはできなかったんだろうなと納得。


またハリーポッターシリーズも見たくなったのでしばらくはファンタジーの世界に浸かろうかな。





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