ムンクとピカソの共通点
さて、2016年のピカソのゲルニカ展と2018年のムンクの叫び展に共通する気づきがあったのでシェアしたいと思います。
まず結論から言うと、『ピカソもムンクも抽象画を描くときは、段階的に描いていた』ということです。
ん?どういうこと?と思われるかもしれません
。というのもですね。ピカソもゲルニカのたとえば上のurlに出てくるような顔を描く時も、最初に書く段階ではあのような抽象的な絵では無いということです。
たとえばゲルニカには画面左上に「羊の顔をしたような悪魔」が描かれています。
沖縄の県立博物館で見たとき、実はこの男は最初は人間の顔をしたふつうの男のデッサンとして描かれていました。
それが2段階目で徐々に髭が生え、角が生えます。
それから3段階目でかなり人ではなく悪魔のような顔になってます。
最後に4段階目くらいで悪魔か人間かよくら分からないような男の顔の抽象画がそこに描かれているのです。
僕が見てておもしろいなあと感じたポイントはピカソも最初の段階ではいきなり抽象画を描いていなかったというところです。ゲルニカは大作なのでそういう書き方になったのかもしれません。はやり絵でも何でも階段を一段一段上がるのが大事なんだなあとあらためて考えさせられた展覧会でした。
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さて、ムンクの有名な『叫び』も実はピカソのゲルニカの創作方法と共通点があるのをご存知でしょうか?ちなみにこの叫びは本人が叫んでいるのではなく、この絵の人物が叫び声を聞いている絵であるというのは有名な話です。
実はこの絵の前段階の下書きがこの展覧会で見れました。ムンクは抽象画家では無いと思いますが、この絵に関して言えばかなり抽象画に近いです。
この絵も実はゲルニカのように1段階、2段階と筆を重ねるごとにフォルムが抽象へと変化して行きます。不思議だなあと思うのはなぜ彼らは筆を重ねるごとに写実的(見たまま)に描かず、むしろその反対の抽象へと変化させようとするのか?そのことを疑問に思いませんか?
それは僕がこうして文章を書くようになってからもしかするとそういうことなのかなと思い至ることがありました。
それはおそらく、あなたもインスピレーションが頭に浮かぶことがあると思います。それは絵なのか、商品の青写真なのか、いろいろあるでしょう。
それを紙に書いたとき、正直、最初に頭に浮かんできた『アレ』と目の前に浮かび上がってきた『ソレ』はかなりギャップを感じた経験はありませんか?おそらく彼らがより抽象へと筆を走らせる最大の理由はこの目の前の『ソレ』を、いかに最初に頭に浮かんだ想像の源泉というかピュアな原型、言うなれば『アレ』に近づけるかに血を注いでいるからだろうなと思ったのです。そう思いませんか?
そういう意味では最初僕は抽象画の面白さというのをまったく分かりませんでした。今でも理解できてるとかおこがましいことは思っていませんが、彼らが求めているモノは何なのかみたいなところは少しばかり理解できてきたように思います。
その彼らのハートに触れられるようになってくるとさらにアートに狂うようになってしまい、ひたすら渡り歩いてやめられずに見まくってしまう自分がいる今日この頃です。さてさて、それにしてもムンクのこの絵はさすが名作というか、何時間でも見ていられますね。機会があればぜひ見ていただきたい1枚です。
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