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アッシジの思い出

以前フィレンツェ郊外の教会を取り憑かれたように歩き回っていたことがある。あの頃僕は家に引きこもっていた。とくに何をするというのでもなく、働くわけでもなく、当時飼っていた小次郎というダックスフントの散歩の時間になると家を出て歩いた。それからまた家に引きこもり、ただ読書に耽っていた。

そのようなある時、それに見かねた母につれられある方に相談に行った。するとまあ、ちょっとイタリアでも行ってきたらととつぜん言われ、まあじゃあ行ってくるわとなりゆきで荷物をまとめ少し行くことにした。あの頃、なぜか取り憑かれたように各地の美術館を見まくった。ボッティチェリ、ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ。今振り返ると僕が絵画に狂うきっかけになったのはルネッサンス絵画を見てしまったことが原因であったように思う。彼らは人生そのものを絵画に注いでいた。だからだろう。人気のないウッフィツィ美術館でボッティチェリのプリマヴェーラを見ているとああ自分は絶対将来画家になることだけはやめようと思うと同時に、人間ってここまですごい絵を描けるんだなとおそれおののいたのをよく覚えている。

あの頃、フィレンツェ郊外によく行った。アッシジというところに行った時、丘の方に行くとフランス人のある女性が絵を描いていた。何を描いているんですか?と尋ねると風景を描いていた。そこは小高いところにあって下を少し見渡せることができた。すてきな絵ですね。と言うと、あなたはどっから来たんだ?泊まるとこはあるのか?といろいろ心配され、まあ暇ならウチに泊まっていけば?と言われ、あつかましくありがたく泊まらせていただくことにした。僕には何の才能もないが、なぜかいそうろうの才能がある。今のところ実社会でその才能が役に立った覚えはない。息子のお兄ちゃんと弟がいてその部屋に泊まらせてもらった。2人ともいい子で話していると、晩御飯の支度ができたよと呼ばれ、階段を降りて行った。パンとソーセージと、地元の野菜料理がテーブルに広げられ、赤ワインもあった。旦那さんはイタリア人の方だった。家には猫が1匹いた。名前は思い出せない。あの時のパンと肉とワインの味を時たまなぜか思い出す。あのフランス人のお母さんが描くトスカーナの風景をなぜか今日、夜風が樹々をそよぎゆらし、葉風が音を鳴らしていた時にふとなぜか思い出したのだった。

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左は千代治角江さん作

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