自分のクオリアを知る

今、料理をし終わったあとに、キッチンだけ明かりをつけた薄暗い部屋の絨毯に座って、換気扇の音を聞きながら文字を書いている。この状況下では、少し心地良い疲労感と、薄暗さによる若干の興奮と、いつもと違う場所で文字を書いているという新鮮さが混ざりあって、独特の感情や感覚、いわゆるクオリアを感じているのだけれど、これを言語で表現しようとすると難しい。けれど、この感覚は確かに人生に高揚感をもたらしてくれる要素の一つであると思うから、思い出して気軽に再利用できる形にチャンクしておきたいんだけど、言語というインターフェースが機能しない以上、何か他の、非言語的な要素で関連付けなければならない。chatgptに投げたら、音楽や写真はどうかと言われたけど、それを処理する媒体がクオリアである以上、そのクオリアの作用機序を明確に定義できた方が良いと思う。

クオリアは人によって異なるから、明確な定義ができない。だからこそ、薬の効能では、「注意力の向上」だとか「抑うつ状態の改善」とかでしか説明できないんだけど、(医学用語なんかを使えばある程度説明できるのかもしれないが、完全に個々のクオリアとの相互作用を説明することまではたどり着くことができない)だからこそ、ここの最終部分にハンコを押すのは、他の誰でもない自分がやるしかない作業になってくる。つまり、これこそ「自分らしい体験」なのではないだろうか。

「運動はドーパミン(クオリアX)が出る」と言うが、あるクオリアAの状態で運動をした時、それはクオリアXにはならず、クオリアXに似たクオリアXaになるかもしれないし、クオリアBの状態で運動をすると、クオリアWになるかもしれない。それくらい、「ドーパミン」という単語は何も教えてくれない。それは、チョコを食べた時の快楽と、ハンバーグを食べた時の快楽と同じくらい違うかもしれない。

最近興味があるのが、このクオリアをいかにコントロールできるのかという問いだ。心理療法では、「それを過ぎ去っていくのを眺めましょう」とか言うが、「いや、僕が求めているのは過ぎ去った後のクオリアではなく、運動など体に変化を加えた後のクオリアで、それって今すぐやろうと思えばできることじゃん?」と思う。まぁ、こういったアプローチも心理療法では提案されることはあるし、今書いたら当たり前のこと書いてるなと思ったけど、つまり何をこの記事で説きたいかというと、クオリアに最終ハンコを押すこと難しさであり、その最終ハンコの判断は往々にして他者の定義した言語的概念によって阻害されるということで、誰にも邪魔されない「自分らしい」体験をすることを意図的につくる時間をとらないと、いつまでたっても集合の一部としての弱いAI的な振る舞いしかできないよね、ということ。

僕が欲しいのは、「クオリア天体」「クオリアリザルト」「クオリア誘導」だ。まず、太陽の光を浴びると、セロトニンやビタミンDが生成されると思うが、この機能が月や他の天体にもあっていいはずだし、なんなら自分の部屋の天井に設置できてもいいはずだ。そして、もし天井に太陽を設置できた時、それは既に太陽そのものの機能を失っており、(人間が近づくと焼け死んでしまうため)「床に座っている猫を見て生成されるオキシトシン」とほぼ変わらない(見る、という手間だけ)概念になっている。こういった、設置型のクオリア生成装置で家の中を飾ろうという試みは、至極当たり前の発想であるし、現代人もそれを実現しようと頑張っているが、家の中に絵を飾るとか、そういった時間経過と共にただの風景になってしまうものが多い。しかし、天体である太陽は、時間が経過してもずっとセロトニンを生成してくれるし、雲がかかるといなくなることを除けば安定してクオリアを調整してくれる優れた装置である。こうした優れた装置は他にも「大切な恋人」「香り」「音楽」などがあるが、どれも「飽き」が来るという欠点がある。「天体」というインターフェースは、飽きも来ないし、手間もかからない、とても優秀なインターフェースであり、それを生活の中にデザインすることができたら、人生がめっちゃ楽しくなりそうだなと思う。例えば、朝は太陽に光で起き、天井を見ると体を起こしたいという気持ちにさせてくれるクオリア生成天体があり、ドアを開けると一日の始まりに胸がわくわくする気持ちにさせれくれる天体の光が射してきて…など、それらの天体の特徴を把握したうえで家をデザインする作業は、とってもワクワクする活動に違いない。ちなみに、「食事」は、美味しいと感じるもの(甘いものなど)が長期的な健康を阻害するという点と、食べ過ぎると美味しいと感じなくなるという点で不完全である。

次に、クオリアリザルト。これは、ある活動をした後に、それにどのくらい快楽を感じたか、どれくらい苦痛を感じたかを、言語ではない形で記録するツールだ。これを日常に取り入れることにより、「習慣でなんとなくやってしまう活動」を客観的に再評価することができ、自分が本当に得たいクオリア体験を選別するのに役に立つ。それと同時に、その得たい体験まで強制的に引っ張ってくれる「クオリア誘導」も実像したい。これは、「クオリアリザルトを参照に自分の意思で選択した望みを、自分の意思ではない何かによって誘導されてそこに到達し、望ましいクオリアを体験するフロー」であり、それは人類がまだ定義できていない非言語的解釈を補完するものであり、行動することの足の重さを解消してくれるものでもある。この「クオリア誘導」は、どこまで実現可能かについては全くわからないけど、自分の体をほっておいたら望ましくない行動をとることが多い人間の体に飽き飽きしているし、それを律するツールがその自分しかいないというのはシステム的に明らかに欠陥があるので、「人工的な賢さ」なるものをつくってくれる未来のAIに期待したい。


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