見出し画像

「やさしい」は良い?「きつい」は悪い?

体調を崩していました。
久しぶりだからか、今日は書きたいことが2つあります。
両方ともつながっているテーマなのですが、
今日は2つに分けて書いてみようと思います。

その1:「やさしい」=良い?、「きつい」=悪い?

最近、「やさしい」と言われることが増えました。
2019年から学び始めた数秘の世界では、
私のもつ数字は「愛」を表すのだといいます。
「奉仕」や「献身」「思いやり」という性質もあわせもっています。
初めてそれを聞いた時「え?嘘でしょう」と思いました。
やさしいと言われたこと、なかったからです。

子どもの頃からどちらかというと、
「きつい」と言われることの方が多かった気がします。
中3の時、クラス全員が担任と交換日記をしていたのですが、担任からの返事に
「きついと損するよ」というようなことを書かれていた記憶があります。
そっか、わたしってきついんだ、と思いました。

父からは毎年誕生日の手紙と、年賀状をもらっていました。
カードや葉書に毎年のように書かれていたことばは
「やさしく、あかるく、素直な心で」
といったようなことば。
やさしく、ってやさしかったら言われないよね、と思っていました。

母は理解者でした(過去形)。
母とは、よく長電話をしました。
それでも、電話の最後に喧嘩をすることはしょっちゅうでした。
ペースメーカーを入れている母は、私と話していると
「さららと話していると、胸が苦しくなる。正しいことばっかり言わないで。」
と言われて、電話をブツっと切ることも。

そう、「正しいこと」が好きな私、だったみたい。
「良い(正しい)悪い(正しくない)」が思考の基準だったみたい。

「やさしい」=良い
「きつい」=悪い


と判断していたのでしょう。

だから、「やさしい」と言われて、素直に受け取れなかったのかもしれません。
自分をちゃんと認めてこなかったから。
「きつくて悪い自分」と、自分を卑下して生きてきたから。

でも、「やさしい」も「きつい」も、その人の状態をあらわしているだけで、
良い悪いをくっつけて考える必要はないのではないかと、最近気付きました。

「やさしい」と言われる自分なんだ、それを受け取るだけ。
そういう自分を認めるだけでいいんじゃない?
そんなふうに思うようになりました。

その2:「ご自愛ください」

「やさしい」性質には、もうひとつ意味があって、
人を助けることが好き、自分より先に人にエネルギーを与えてしまう。
自分を疎かにしがちで、結果自分を見失うことがある。

そこで、最近の自分のキーワードは

「ご自愛ください」

となりました。
ふつう「ご自愛ください」と言ったら、
「自分の『身体を』大切に」の意味だと思うのですが、
私は

「自分を愛して」

とことばの通りに受け取ることにしています。
自分を愛して、自分を受け入れて、
ああ、今、自分はこんなふうに思っているんだ、
そういう自分がいるんだ、と認める。
それだけでいいのかな、と思うようになりました。

今、こんな自分がいます。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?