「華金」なのに辛いという話

基本的に土日祝日が休みの仕事をしている。
なので金曜日の夜は、一般的には華金などと呼ばれ、休みに入る喜びを噛みしめるところだろうが、私は毎週金曜日仕事が終わり家路につく度、今死ねば月曜の朝まで誰にも気づかれないんだろうな、と孤独を噛みしめる。

死ぬことを凄くよく考える。

特に抗うつ剤が切れた時が酷い(↑文頭は薬切れた金曜夜に書いたもの、一応公開するからギリ理性を保ってる)

ベランダから飛び降りようか、駅のホームに飛び込もうかと何度思ったことか。その間に最寄り駅にもホームドアが設置された。ありがたい←

とはいえ死ぬ時まで周りに多大なる迷惑をかけるのは申し訳なさすぎる。なるべく迷惑をかけず、誰にも知られずひっそりとこの世からいなくなりたいのだ。

しかし私の30年を超える人生の中で、お世話になった方々へお礼回りをしたいという気持ちもある←

誰がしてくれるのかはさておき、遺品整理はとても大変なので身辺整理をして資産、私物はゼロ、もちろんこうしたSNS等のアカウントも消す。

死を「計画」するとこうなるのかもしれない。
計画が進む間に怖くなったりするだろうか。気が変わったりするだろうか。

今は日曜日の夜だ。明日からはまた仕事が忙しくなる。未来が明るいとは思えない。
土曜日はいつもの精神科を受診。
先月調子よくて減っていた薬は、また元の量に。先週今週は明らかにメンタル不調だった。動悸や頭痛、過去のフラッシュバックが辛く、今日はほぼ一日寝ていた。

土曜日の受診後知人に会い、流れで今通院していることを話した。
このことは家族と、特に仲の良い友人数名しか知らない。話してしまうと気を遣われるだろう、でも話した方が私がいなくなった時不思議に思われないだろう。

吐き出せば、新しいものを吸えるから。

そう言われたが、この辛さはいつ吐き切れるのだろう。
新しいものをもし吸えるなら、穏やかで健やかで幸せな空気でありたい。

このnoteを始め、Xなど諸々のアカウントが消えたらお察しください(誰が)


でも、推し活とスパ巡りが楽しいと思えるし、一応貯金もあるし、来月からも程々に生きようとは思ってる。

来月は伊勢へ行くことに決めた。
島根レポもしなきゃー

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