仏蘭西の諺
ジャンヌ・ダルクが火刑に処されたその年、詩人フランソワ・ヴィヨンはこの世に生を受けた。日本では、太宰治の小説「ヴィヨンの妻」のタイトルで有名である。
何気なく電車の天井にぶらさがっているポスターを見ますと、夫の名が出ていました。それは雑誌の広告で、夫はその雑誌に「フランソワ・ヴィヨン」という題の長い論文を発表している様子でした。私はそのフランソワ・ヴィヨンという題と夫の名前を見つめているうちに、なぜだかわかりませぬけれども、とてもつらい涙がわいて出て、ポスターが霞かすんで見えなくなりました。
人間の一生は地獄でございまして、寸善尺魔、とは、まったく本当の事でございますね。一寸の仕合せには一尺の魔物が必ずくっついてまいります。
ヴィヨンは、貧しい出自で、殺人の罪で追われ強盗団に身をやつすという「つらい」経歴からの「不仕合わせ」な人生という連想なのだろうが、英仏百年戦争中の当時、庶民としてはめづらしくはない経歴であったであろう。
ヴィヨンはまたその語るよき言葉によっても庶民に属していた。ヴィヨンの言葉には心貧しき人々の経験の結晶であることわざがみちあふれている。
心貧しき人はことわざをもちいて語る。なぜならことわざはかれらの全経験をふくんでおり、また賢者の知恵をもしばし含んでいるからである。フランソワ・ヴィヨンはことわざが大好きであった。
オランダの歴史家ハイジンハは名著『中世の秋』の中で、西欧の十四世紀には、中世人の思考の形態の一つとしての生活の知恵の結晶化『諺思考』が大きな位置を占めていたことを指摘している。中世人ヴィヨンも、彼の詩作品において積極的にことわざを活用し、例えば「ことわざのバラード」のようにことわざを並べただけの詩作もある。その中の一行を紹介する。
Tant va le pot à l'eau qu'il brise,
水くみに行き過ぎると、壷は壊れる。
「リスクを重ねると、悪いことは実現してしまう」という、可能性は回数に正比例する法則、現代風に言えば「マーフィーの法則」のような意味のことわざである。通常よいことというのは、エントロピーが高いので、熱力学的第2法則を当時の庶民は生活の中で体感していた。
その庶民の大多数を占める農民を描いた画家がオランダの画家ピーター・ブリューゲルであった。当時、オランダは、スペインと八十年戦争を戦っていたが、下の絵では、戦時中にしては長閑な農村の生活を通じて100を超えることわざが描かれており、その中の1つには、やはり、先に挙げた「ツボワレ」のことわざがある。
![](https://assets.st-note.com/img/1712061193596-oLLHB7MACF.png?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1712130142339-3FHTct9T49.png)
De kruik gaat zolang te water tot zij barst
壺も水汲みに通うと割れる
同じことわざが、1605年出版された「ドン・キホーテ」の前編30章にも登場します。ドンキホーテが従者サンチョの軽口を戒めるシーンです。
— Con todo eso —dijo don Quijote—, mira, Sancho, lo que hablas, porque tantas veces va el cantarillo a la fuente..., y no te digo más.
「まあ、そうではあろうが」と、ドン・キホーテが言った、「言うことにはよく気をつけるのだぞ、サンチョ。それに、水瓶もあまリに頻繁に泉に行くと…*この先は言わぬことにするがな。」
*Tanto va el cantarillo a la fuente que al final se rompe.
…ついには壊れる。
略さないとこのようになる。この発言の前に、ことわざを多用するサンチョを戒めているので、うっかり自分もやってしまいそうになり中断したか、言ってしまうとサンチョに悪いことが起こってしまうと考えやったのか。
時代を超えて仏蘭西、阿蘭陀、西班牙の詩、絵画、小説に共通する諺は、分かり切った結末を、"memento mori"などとかしこまらずに、笑い飛ばす楽観的虚無主義なのでした。
Si tu quieres ser cubano que la gente quiere conocer guarda tu dolor detrás de tu sonrisa.
みんなが思うキューバ人になりたいのなら、苦悩を笑いで隠せ。
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