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不条理、辺縁、一石二鳥

 チェコのゲーム開発会社Charles Gamesから "Playing Kafka"(AppStore / Google Play) というゲームが出ていると思ったら、今年は、カフカの没後百周年。安部公房の生誕百周年でもある。百年前の1924年は大正13年で、民国(台湾暦)13年、甲子の年であった。
 私が中二病だった頃、カフカや安部公房の作品を平穏な日常に口を開ける不条理の物語として読んだように思う。日常というのは、恣意的な慣習を共有するコミュニティに依存しており、むしろそれを逸脱する不条理のほうが普遍的であり、無国籍的なものに思えたのだろう。映画ならダリオ・アルジェントの「サスペリア2(Profondo Rosso)」、歌謡曲なら佐藤隆の異国情緒溢れる楽曲という当時の趣味に通底するものがあったのかもしれない。そして、それは北海道育ちの私にとって、一般的な日本文化に対する違和感からの逃避でもあった。社会や国語で学ぶ東京や京都の四季感や歴史観が、押し付けがましく感じられ、一種植民地的被害妄想を感じていたことが、不条理をテーマとする文学に惹かれた理由だった。そんなもんだから、不条理というのは、私にとって日常の辺縁であり、さらに辺縁は異なる世界へのドアでもある。ベン図で言えば、A∧Bの部分、Aの辺縁でかつBの辺縁の部分、一石二鳥への拘りが、私の人生のいろいろな局面での指針になってきたように思う。
 夜ふかしをして"Playing Kafka"で遊びながらドイツ語の復習と、また一石二鳥してしまいました。

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