猫式 Negative Capability

この言葉に初めて出会ったのは、帚木蓬生さんの「ネガティブ・ケイパビリティー答えの出ない事態に耐える力」を本屋でみつけたときである。副題が、そのまま初見するフレーズの意味になっているわけだが、それよりもNegativeという陰性の単語とCapabilityという陽性の単語がくっついた磁石のようなタイトルに引き寄せられて衝動買いした記憶がある。ちょうどその頃
樋野興夫先生のがん哲学外来の講演を聴いていて、内村鑑三の「真理は円形にあらず、楕円形である。」という「聖書之研究」の中の言葉を知り、依然読んだことのある花田清輝の文章が蘇り、引っ掛かりになったのかもしれない。

下界における楕円の最初の発見者は、フランソア・ヴィヨンであり、このフランスの詩人の二つの焦点をもつ作品『遺言詩集』は、白と黒、天使と悪魔、犬と猫──その他、地上においてみとめられる、さまざまな対立物を、見事、一つの構図のなかに纏めあげており、転形期における分裂した魂の哀歓を、かつてないほどの力づよさで、なまなましく表現しているように思われる。

「復興期の精神」花田清輝

ヴィヨンという古いフランスの詩人は、宮廷詩人であると同時に、盗賊団の一味でもありました。花田は、戦後の日本において、1つの世界に縛られることなく、2つの相反する世界での思考を巡らせることの必要性を主張したわけで、これは変動性、不確実性、複雑性、曖昧性に満ちた診断の世界でも言えることです。例えば、医師の診断は、患者さんの訴えを真実として受け取ることから始まりますが、有名な医師、William Oslerが「患者の言葉に耳を傾けなさい.患者はあなたに診断を告げている」と言っている一方、嘘でドラマ「ドクターハウス」の名医の口癖は、「患者は嘘をつく」でありました。診断次第で治療法が大きく変わり、時間的猶予がある場合、急いで結論を出すことは、ときに有害であり、早期閉鎖(early closure)という認知バイアスで知られています。鑑別診断という複数の可能性を挙げ、決定的な証拠が上がるまでは可能性を絞り切らない。つまり、一つの籠にすべての卵を入れないということは、医学生時代から口うるさく叩き込まれます。しかし、実際には、治療の侵襲が大きくない場合には、我慢できずに暫定的な診断と治療を行うことが多いです。それでも「中腰で耐える」というのは、精神科医の春日武彦さんと仏文学者の内田樹さんの対談(1)の中で交わされていた言葉ですが、 "nagative capability" という言葉も、詩人キーツが弟への手紙(2)で用いた言葉を精神分析医であるビオンが再発見(3)したことにより広く知られることになりました。文学と医学の交流で同じような見解が再生産されるのは面白い。
しかし、表現として、腰痛持ちの私には、「中腰で耐える」のは、辛い。そこで、最近、台湾の選挙戦のニュースで知った下記の言葉、猫派である民進党の副総統候補の蕭美琴さんです。中国の「戦狼外交」に対する皮肉でもありましょう、エコノミスト紙のインタビューで「戦猫外交」について語った部分です。

貓除了可愛、敏捷、靈活之外,也能在複雜的地方取得平衡,而即便腳步輕柔,仍然能找出最好的防衛位置。
猫は、かわいいだけではなく、すばしっこく、機転が利く上、複雑な場所でもバランスを取ることができ、足取りが軽く、最適な守備位置を見つけ出すことができる。

"An interview with Hsiao Bi-khim" The Economist

成猫は、猫の手も借りたいと言うほど、役に立たない。食べてるか、寝てるか、人間の目からすれば無為の極致である。そんな猫でも、本能として、バランス感があり、2017年のイグノーベル賞を受賞した論文で液体であると証明された柔軟性があり、自分の快適な居場所を見出す天才である。どうせ答えがないのなら、耐えずに、随波逐流する「猫式 negative capability 」もあるのかなと思うこの頃なのであります。

(1) https://www.igaku-shoin.co.jp/paper/archive/old/old_article/n2004dir/n2613dir/n2613_01.htm

(2)ハムステッドの日曜日
1818年12月22日 親愛なる兄弟たち
この前に手紙を書かなかったことをお許しいただきたい[ ... ]。あらゆる芸術の卓越性はその激しさであり、美と真実とが密接な関係にあることから、あらゆる不快を蒸発させることができる;しかしこの絵には、その反発を埋めるような重大な思索の深みもなく、不快がある、ホレス・スミスとも食事をしたし(最近出歩きすぎていたから)、彼の2人の兄弟、ヒル、キングストン、そしてデュボワにも会った。彼らはただ、ユーモアが楽しむことに関して、いかにウィットよりも優れているかを私に確信させるだけだった;礼儀作法も似ている。彼らは皆、ファッショナブルを心得ている。食事や飲酒、デキャンタの扱い方ひとつにもマナーがある!ブラウンとディルケはクリスマス・パントマイムの帰り、私と一緒に歩いた。ディルケとは、論争というより、いろいろなテーマについて議論した;いくつかのことが私の頭の中で輻輳し、そしてすぐに、特に文学において、シェイクスピアが非常に多く持っていた、達成する人間を形成するために必要な資質とは何だろうと閃いた。つまり、否定的な能力、つまり、人間が事実と理性の後に苛立ちを覚えることなく、不確実性、謎、疑念の中にいることができる場合である。偉大な詩人にとって、美の感覚は他のあらゆる考察に打ち勝つものであり、むしろあらゆる考察を消し去るものなのだ。

Letter to George and Thomas Keats, December 28, 1817 by John Keats


(3)精神分析家は、被分析者の相違や困難を、それが何であるかを認識するのに十分な時間許容できなければならない。精神分析医が被分析者の言うことを解釈できるようになるには、その解釈を知っているという結論に急ぐことなく、被分析者の発言を許容する大きな能力が必要である。キーツがシェイクスピアは「ネガティブ・ケイパビリティ」を許容できたに違いないと言ったのは、このことを意味しているのだと思う。

Brazilian lectures by Bion


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