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なぜスリランカとバガンは仏塔様式が異なるのか

さて、スリランカからバガンに戻ってみますと、1165年ときのシンハラ王・パラクラマバーフ1世は多くの分派がはびこっていた上座部を一本化し、大寺派を正統とする宗教改革を行います。これがいわゆる「南伝仏教」と呼ばれるもので、つまり南伝仏教によって上座部が東南アジアに広がったというのはまったくの誤りなのですが、スリランカを兄として敬意をもっていたバガン仏教界では侃々諤々の議論が巻き起こり、200年にわたって宗教論争が続き、次第に大寺派に吸収されていったとされています。

ですので、12~13世紀ごろまではバガンのパゴダもオリジナルです。少しずつスリランカ式の四角い厨子ののった仏塔が増えていきますが、この写真のようにモンやピューの影響を受けたバガン式仏塔が長い間普及していたようです。

仏教の発信国であったスリランカとしても、仏教の再興を支援してくれたのはバガンだから、仏塔のスタイルまで強制させてはいけないと思っていたのかもしれませんね。同じ宗派の兄弟でありながら、建築様式が異なったまま歴史を刻むというのも、またひとつのロマンではないでしょうか。

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