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また始める

 習慣化の敵は、つづかないこと。
 なにかを始めたくて、しかも習慣にしたいとき。そう思い立ったときには、実行するものだ。しかも、かなりの熱量で。しかし、熱は冷める。心の温度も、同じ。いつまでも、始めたときの熱量は維持されにくい。次第に、ぬるくなっていく。

 しかもまた、そういうときほど「用事」が入る。仕事だったり、家族のことだったり、体調を崩したり。「それでもつづけるの?」と神様が本気度を試しているのか、と思うほど。で、それでもつづけているうちに、気づくとそれが当たり前になっている。

 ポイントは、「3」。最初の鬼門は、「3日」。三日坊主ということばがあるが、まさしく。まずは最初の3日を通過するかがポイントで、3日目を超えて、4日、5日…と継続できるかが大きい。
 次のポイントは、「3週間」。業界では、「なにかを21日間継続すると、それが習慣になる」とも言われる(なに業界だ?)。たしかに、3週間も続けていくと、それをすることに慣れて、徐々に「ふつう」になっていく。
 そして、もうひとつのポイントが「3か月」。およそ100日だ。食べ物や生活習慣にしてもそうらしいのだが、100日で体が順応するのだそうだ。行動についても同じで、そういう習慣がある自分へとシフトする。およそ3か月かけて、それを習慣にしている自分へと書き換えられていくのだ。

 では、続けられなかったらどうなのか。まったく問題ない。また、始めればよいのだ。そして、また続けたらいい。

 本当に習慣にしたいなら、もっと言うなら「本気でそれが自分に必要だ」と腹落ちしているなら、むしろ続かないほうが苦痛なはず。「それ」がない自分でよいのか。否、なんとしても「それ」をする自分でいたい、と願うものではないだろうか。

 1回で100点を取ろうとするのは難しい。いきなり完璧に継続できてしまうことのほうが、逆に難易度が高いこと。いままでやっていなかったことだったら、停滞したり、続かなくなってしまったりすることのほうが、自然なことかもしれない。だからこそ、「また始める」のだ。

 片付けにしても、ダイエットにしても、そのほかにも、「やる」と決めたことが挫折してしまうのは「あるある」だ。ただ、つづかなくて「やっぱりダメだった」と凹むのか。あるいは、何度でも立ち上がり、つづけようとするのか。その違いが、最終的に目指すゴールにたどり着けるかどうかを変える。