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甘える

 日曜、15時すぎ。大阪メトロ淀屋橋駅の改札へ向かう、狭くて急な階段を、一人のママがよたよたと降りていた。厚みが2〜3cmほどのサンダル。ロング丈の、デニムのワンピース。やや前かがみになった背中。前腕にぐっと筋が浮かぶ。抱えているのは、幼子を乗せたベビーカー。エスカレーターもエレベーターもない階段を、そのママはベビーカーごと降りようとしていた。

 ちょうどバラ園が見ごろで、中央公会堂ではビールイベント。雲一つない晴天の中之島公園は、大人も子どもも、たくさんの人。頭上に広がる空。川面を抜ける風。帰ってしまうにはもったいない時間帯だったけれど、それでも駅に向かう人の流れがある中で、そのママの姿に出会ったのだった。

 もう慣れっこになっているのかもしれない。周りが声をかける間もなくママは下に降りきって、ベビーカーをどすん、と下ろした。そして、何事もなかったように、すたすたと歩き出して去っていった。周りの、息を飲むように張った空気が、ほっと緩む。周りもまた、それぞれの行き先に去っていった。

 ママとベビーカーと幼子は、去った。けれど、わたしの心の中に「何か」が居続けている。いまはもう成長して、わたしよりもスタスタ速く歩く息子氏。彼にも、ベビーカー移動の日々はあった。わたしは、そのときの感情を思い出していたのだろうか。

 甘えるのは苦手だ。上手に甘えている人を見ると、羨ましさを通り越して、妬ましささえ感じる。さすがにそれなりに年齢を重ねて、それはなくなったけれど。とはいえ、羨ましい。
「いいなぁ」
羨望のまなざしを向けてしまうのは変わらない。何事も結局自分次第なのに。

 まだ小さかった息子氏と、ベビーカーで移動していた頃。いろいろなところにお出かけした。だいぶ整備されたとはいえ、まだまだエレベーターが設置されていないところも多い。ベビーカーを抱えて階段を上り下りせざるをえなかったことが、何度もあった。

 ひとりで抱える重さは、子ども+ベビーカーの重量、だけではない。きっと、その人が抱える「子育て」の重さだ。それを抱える、引き受ける。その覚悟は素晴らしい。けれど、それでいいのだろうか。

 手を差し伸べる。差し伸べる手をつかむ。
 簡単なことではないけれど。せめて「甘える」という選択肢は持っていたい。共に。まずは
「ありがとうございます。お言葉に甘えて、お願いします」
と言える自分でいたい。そう思った。