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いのち

 母は、誕生日の前日に亡くなった。
 見たかった桜も、楽しみにしていた東京オリンピックも、目にすることなく彼岸へ行った。

 がんに罹患していると聞いたのは、息子氏が生まれた日だった。実家のあった埼玉から、大阪の病院まで孫の顔を見に来てくれて。ひとしきり、よろこびを味わった後で、表情を変えて、話してくれた。実は、その数か月前に診断がついていて、通院していること。病院では余命を宣告されたこと。医師にさじを投げられたように感じて、絶望感でいっぱいだったこと。本当は娘(=わたし)に話したかったけれど、ショックでお腹の子に影響してはいけないから、黙っていたこと。

 きっと、母が言いたかったけど言えずにいた、すべてではないだろう。それでも、たくさんの密かに抱えていたことを、話してくれた。病気への不安、死への不安、この先への不安、医師への不満、ひとりで抱えて、どれだけ苦しかっただろう。想像するだけで、心がしめつけられる。

 母には、治りたい、治したい、という強い動機があった。
「孫の成長を見守りたい」
症状にも、治療の副作用にも、弱音吐かず、ひたすらに治ろうとしていた。
「なにくそ〜」
ことばは悪いかもだけど、最初にがんと診断した医師へ抱いた不満や怒りが、母の闘志に火をつけたのだろう。その医師が言った「余命」をはるかにこえる日々を、母は生ききった。転院先での治療が奏効し、一度、寛解もした。

 医学的にはまったく正しくないと思うけど、わたしが感じていることがある。病気は、これまでの生き方を見直しなさいよ、という体からのメッセージ、なのではないか。病気がきっかけで、自分のこれまでを見つめ直して、「これから」の生き方を選択する。もちろん、肉体はいつかは朽ちる。けれど、その「いつか」を早めるのも、遅らせるのも、命の使い方次第、生き方次第だと思うのだ。

 けれど、長年しみついた生活習慣は変わらなかった。いや、むしろ、無意識が「変えなかった」のかも。治りたかったのは、間違いない。ただ、あのときの母には、病気と向き合う「理由」が、あったのかもしれない。結局、がんが再発し、ふたたび持ち直すことなく、旅立ってしまった。

 母が見たかった桜が、今年も咲いた。母が楽しみにしていたオリンピックは、東京開催を終え、今年はパリで開催。今日を含めると、あと94日で始まるらしい。

 母が生きたかった「あした」を、今日もわたしは生きる。