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ひなんくんれん

 息子氏は、避難訓練が嫌いだ。ふだんは、ありがたいことに、学校で楽しく過ごしているようなのだが、避難訓練がある日は全身から「行きたくないオーラ」が滾る。

 避難訓練が、どういう目的でやっていることなのか。もし、やらずにいて、万が一のことが起こったら、どんな事態になるかもなのか。避難訓練をやる意味とか意義とかは、アタマではわかっている。ただ、訓練時に鳴る警報音。あれがどうしても耐え難いらしい。

 「けいほうおん」という音の並びを耳にするだけで、体が固くなる感覚は、わたしもよくわかる。2011年の東日本大震災のとき、体感したからだ。そう書いている今も、アタマの中で警報音が鳴っている。全身が毛羽立って、全身の血管がきゅーっと縮こまるような緊張感に見舞われた感覚が、今まさに再現されている。必要な訓練だとはいえ、あの音を聞くのは、やはり嫌だ。

 あの音は、いくつかの効果をねらって、あのように「作曲」されたと聞く。たとえば、音を聞いた人がすぐに行動を起こそう、という気持ちになる効果。1つ目の音(和音)を半音上げた音が、2つ目の音(和音)になっていて、その音の動きが、焦りというか、急ぐように促すのだとか。ゲームの「スーパーマリオブラザーズ」で時間切れになりそうなときの警告音。あれも、半音ずつ上がるらしいのだが、たしかに「いそがなきゃ!」って気持ちになる。音が人の心におよぼす影響、実に興味深い。

 そんなこんなで、学校や自治体などでは避難訓練が実施されている。しかし、各家庭ではどうだろうか。非常用の備蓄も兼ねて、すこし多めに食材を買い、ローリングストックする、というスタイルをとっている家庭は増えていそうだ。けれど、定期的に避難訓練をしているという家庭の話はほとんど聞かない。大阪北部地震が起きたとき、たまたま保育園に送っていく前だったから、家族が全員、自宅にいた。けれど、めいめい違う場所へ出かけているときに有事が発生していたら。無事に、そしてスムーズに、家族で落ち合えていただろうか。

 我が家では、まだ避難訓練は実施できていない。けれど、もしものときはどうするか、折りに触れ話をするようにしている。自然災害でも、犯罪の類でも、「ないにこしたことはない」。けれど、「ない前提で、なにもしない」のは、ちがう気がする。十分な備えがあるからこそ、「万が一、が起こらなくてよかったね」と、言えるのだと思う。