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おねだり

 喉が少し、イガイガしていたようだ。外出先から戻ったダンナ氏が、顔をしかめて咳払いをしていた。風邪をひいてしまったら大変! いそいでうがいをするよう勧めた。

 梅干しを漬けたときに出た梅酢。これを水で薄めて、ガラガラうがいをする。喉の奥にあった違和感が和らぐし、口の中に、ほのかに梅の香りが残る。さっぱりする。

 ただ、今回はそれでもまだ違和感があった様子。喉をエヘンエヘン言わせていたので、「飴、なめなはれ」個包装になった生姜飴を2つ、ダンナ氏に手渡した。

「わぁっ!!!!!」
ビックリした。いつの間にか、リビングで宿題をしていたはずの息子氏が、至近距離に居たのだ。お手本のような三日月目が開いて、大きな黒目がこちらを向く。上がった頬は、左右にたこ焼きを頬張ったかのように、丸く盛り上がっている。食べなくてもわかる、ホカホカだ。口角もくいっと上がっていて、まるでイラストの「スマイルマーク」みたいだ。


↑ まさに、こんな感じ…


 そして、目をキラキラさせながら、言うのだ。
「おかあさん♡ (おとうさんがもらった)飴、いいなぁ〜。おいしそうだな〜。たべてみたいなぁ……1こ、たべてみても、いい?」

 ズルくない? もう、答えは「はい」か「YES」か「よろこんで!」しか、なくない? 実質、1択ではないか。

 我が子を含め、子どもたちを見ていると、不快な感情や不満を表明することで周りを操作し、ニーズを満たそうとするときがある。たとえば、ジュースを買ってもらおうと「喉渇いた」と言ってきたり、「消しゴム、ない」と言って親に(一緒に)探させたり。で、オトナが「だめです!」「(自分で)探しなされ」と返事すると、さらに不快や不満を訴える……。

 叶えたいことがあって、実現に他の人の力が必要なら、なにをどう協力して欲しいのか相手に伝えて、お願いするべし、だ。ただ、どうお願いするかも大切。「おとうさんだけ、ずるい! ボクは飴もらってない!」と言うか、「1こ、たべてみても、いい?」と言うか。言い方一つで実現の可能性も、相手の気持ちも、当然お願いする側の気持ちも大きく変わる。

 そもそも、「お願いされる」のは嬉しいのだ。だれかのためになにかできるのは、心満たされることだから。実は、お願いすることって、相手に喜びをもたらす「貢献」でもある。かわいく、おねだり、したいものだ。

 息子氏が飴ちゃんをゲットしたのは言うまでもない。