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本を出す

「シャープさん」こと山本隆博さんと、「さとゆみさん」こと佐藤友美さんの対談イベントに、オンライン参加した。

 我ながら、雑な言い方で苦笑してしまうが、もしこのイベントを視聴した感想を尋ねられたら
「サムライの会話、聞いているみたいだった」
と言いたい。

 サムライの会話をリアルに聞いたことは、ないけど。


 刀を使ったことのある人。日々刀を振ってきて、人を斬ったこともある。刀のずしりとした重みも、骨肉を断ちつつ刀が押し止められる感覚も、自分にもふりかかる血の色も、みんな経験として知っている人。
 刀ができることも、できないことも、識っていて、それでも敢えて、粛々と刀を振り続けている。

 そんなツワモノお二人の対話を、目撃させてもらった感覚だった。


「こんな時代に『本』を出すということ」
お二人が思考の錦を編んでゆかれる様をみながら思ったのは、「ハイボール呑みすぎじゃね?」

……じゃなくて、「著者になることと、親になることは、似ている」ということ。

 
 お二人の対談で、なんども「生半可な覚悟で」というフレーズを聞いた。
「覚悟」
これだと思う。

「命に関わる」との表現もあった。書くことは生きることでもあるし、糧にも刃にもなり得ること。

 刀は、攻めにも守りにも使い得る。
 触れてしまったものを傷つけてしまうこともある。ただ刀があると示すだけで留まる何かもある。

 ことばも、世に置くことで、なにがしかの痕を生じる。自分から湧き出たことばが、意図せず誰かを傷つけることもある。誰かを救うこともある。人を育むことも、人を癒やすことも、人をつなげることも、ある。人を孤独にすることも、殺めることも、ある。

 勿論、放たれた言葉をどう受け取るかは、受け取る人次第だ。それでも、「とるにたらない、ちっぽけな自分」が放つことばでさえも、誰かを刺すには十分な力を秘めているのだ。


 本を出すことは、子を産み育てるのと似ているように思う。
 本を産み出し世に現すまでのトツキトオカも”いろいろ”あるし、産んでからは一緒に育っていく存在だ。
 ただ、その子はどんな子か、意図的に「つくる」。そこは違うかもしれない。

 その子が周りにどんな影響をもたらすか。影響が起こるべく、企図してことばを編む。「読者のために」深海でことばを紡ぐ。命を生み出す悦びは、計り知れない。同時に、背負うものも大きい。

 本を出すことは、命を伴う営み。その思いを新たにした。