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しっかり休む

 2週間ほど、ものすごい体調不良がつづいた。咳がおさまらない。息をするだけで、胸のあたりがムズムズして、反射的に咳き込む。まるで筋トレで追い込んだみたいに、腹筋がギュッと存在感を示し続ける。このまま咳だけでムキムキのシックスパックが完成するんじゃないかと思ったほどだ。

 興味深いのは、不調の期間が、ちょうど土用の期間だったこと。「土用の丑の日」で夏の土用が知られているけれど、土用は年4回、春・夏・秋・冬それぞれにある。まさに春土用中に、不調が起きたのだ。

 「風邪は、次の季節の準備」的なことを聞いたことがある。たしか、野口整体で知られる野口晴哉先生がおっしゃっていたのではなかったっけ。季節が揺らぎながら進んでいくように、その環境のなかでくらしているわたしたちも、環境のゆらぎに応じて自らのゆらぎを大きくしたり小さくしたりしながら、生きている。

 不快な症状が出ると、ついその症状を取り去りたくなる。それはそうだ。不快なままでは生活の質も、感じられる幸福度も、著しく落ちるから。とはいえ、症状があることは必ずしも「悪」ではない。ほんとうに弱ってしまうと、症状すら出せないことがある。症状が出せるのはそれだけカラダに力があるってこと。そして、自分の生活習慣や働き方、生き方を見直すキッカケになるのも、症状があって困ったから、だ。

 不快な感情は「アクションシグナル」。現状は自分にとって望ましいものか、もしそうでないなら、現状を変えるべく行動を起こすべきだ。そう我々に促すのが、感情なのだとか。
 不快な症状もまた、「アクションシグナル」と捉えられよう。体からの「休みなはれ」とのメッセージだし。心身ともにより健やかに生きられるよう、必要があれば、自分を変えるなり環境を変えるなり「改善しなはれ」ってことなのだろう。

 それにしても。風邪かなにかに罹患して、治るのに半月近くもかかるとは。健康でいられることの、かけがえのなさを痛感した。あたりまえ、ではない。かけがえのないこと。そして、自分ひとりで成し得るものでなく、周りに支えられているからこそ享受できているもの。大切にせねば。

 コロナ禍で失ったものは多い。だが、あえて得られたものを挙げるならば、「休む」意識が上がったことではないか。症状があったら、休む。その間、まわりにご迷惑をかけるのは、とても心苦しい。だからこそ、しっかりと治して復帰したいものだ。