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ヤルキスイッチ

 コーチングをしていると、しばしば
「自分のヤル気スイッチを見つけたいです!」
と、お題をいただくことがある。

「やらなきゃいけないのは、わかっている。でも、なかなか手を付けられずにいる。それをどうにかしたいんです。」

 わかります。コーチのお役目を承ってはおりますが、斯く言う私も同じです。わかってはいるけど、やれずにいること、ありますよね……。

 お話を伺っていると、どうも相談者さんの表情がさえない。口では「やりたい」とおっしゃるけれど、全身から「やりたくない〜〜〜」が伝わってくる。

 とはいえ、私の思い違いかもしれない。相談者さんに確かめてみよう。
「やりたいとおっしゃっているけれど、本当のところはどうなのでしょうか……本当は、どうしたいですか?」

 ヤル気スイッチと言っている時点で、ヤル気はOFFの状態。それはどうしてか。答えはシンプル。やりたくないからだ。

 やらずにすむなら、やりたくない。コーチングを受けてまで、何とかヤル気をONにしようと模索するのは、「やらなければならない」からだ。

 興味深いことに、同じことをやるのでも、自ら進んでやるのと義務感からやるのとでは、心持ちが全く違う。自分が納得して、自分が選択して「やる」と決断したとたん、足元がぐっと固まって強い佇まいに変わる。スイッチがONだろうがOFFだろうが、関係ない。「やる」と決めたことを、ただ淡々と、粛々と「やる」。それだけ。

 本当にやりたいこと、心から望んでやまないことだったら、スイッチなんて不要だ。楽しみにしている遠足の日、起こされなくても朝、バチッと目が覚めて、早朝からいそいそ支度をしてしまう子どものように、動きたくてじっとしていられないものだ。

 しかし、決断したことは、それとはまた違う。文字通り、決めて断つ。選択肢は「やる」一択。腹が据わった感が、表情からも、佇まいからも伝わってくる。

「どうしたらヤル気になるだろうか?」
ではないのだ。本当に「やらねばならない」ならば。

 コーチングの師の教えを思い出す。

If I can't, then I MUST.
If it's MUST, then I CAN.

もし、自分にはできないと思ったら、それを「何が何でもやらなければならないこと」にしなさい。
もし、それが「何が何でもやらなければならないこと」だったら、「できる」のだ。

 あえて言うなら、これが「ヤルキスイッチ」かも。