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「日出処の天使」を久々に読み感じた“孤独と人生”

去年から心の中で「日出処の天使を読め」としきりにアラートが鳴っていたのに放っておいたら、たまたま通っている図書館に「日出処の天使」がありましたー( ;∀;)

「買えばいいのでは?」って?kindle版もあるし。でもねぇ大人買いしてしまっておきたいし、大人買いするにはスペースとお金が必要じゃないですかー。

ちなみに去年「風の谷のナウシカ」を大人買いして、見事にソファの上に通年積んだままという。家の本棚が小さいのよ、漫画などの大きな書物はデカい本棚を購入しないとダメですねぇ。

で、そのナウシカも「いい大人が持っていても仕方ないし。ママ友にあげよう」と思ってあげてしまった。今考えたら図書館に寄付した方が良かったね。今度そんな機会があったらそうしよう。(なんのこっちゃ)

で「日出処の天使」は、いわずとも知れた山岸涼子氏の最高傑作です。連載がスタートしたのは1980年代なんだそうで。

この時代はカルチャーの進化が良い意味で止まらなくて、音楽でも文学でもワクワクするような傑作が次々と生まれましたね。もちろん「日出処の天使」もそのうちの一つだって思ってます。

作品の構成もすばらしいけれど、登場人物がたくさん出てきて、それぞれの立場と自分をリンクさせて共感できる点がすごい好きです。センシティブな厩戸皇子のファンは今でも大人気っていうか、今の方が多い気もする。

私は当時歴史的な背景はよく分からないまま読んでいて、教科書に出てくる聖徳太子と漫画が乖離したまま、ストーリーだけを楽しんでいた記憶があります。

再度読み直してもそれは変わらずですが。年をとって読み直すと共感していた部分もぜんぜん違ってきているのが印象的です。

よく考えたら10代の頃なんて分からない事だらけ。時が経つと就職したり結婚したり子どもを設けたり、人生も年輪が増えると、同じ内容でも読む角度が違ってくるのは当たり前なんでしょうか。

この漫画を読んだ当時の厩戸皇子の印象としては同世代的な位置を占めていて、クールでセンシティブ。怖い所もあるけれど、かわいい感じが憎めなかった。

たが時が経つと、ですねぇ。目的を果たす為なら殺しもいとわない、ちょっと幼稚な性格が垣間見えるようになってきた。そのくせ子どもらしさをまったく感じさせず、大人たちを従えて政を取り仕切るという「哀れ」な点も気になって、読み手側としては完全に親目線になっている。

さらに毛人への解釈が変わった。最初に読んだ時の毛人への印象は厩戸皇子を引き立てるサブ的な役割って気がしていたけれど、彼がいないとこのストーリーは成り立たなかったのだと改めて思う。

それを垣間見えるのが後半です。毛人が厩戸皇子と別れるシーンはあまりにも有名ですが、振り返ってみましょう。

彼は皇子に向かって

「人はもともと一人なのだ」

「もう一つの道ができれば、人は進まずにはいられない」

と言い残し去っていきます。

厩戸皇子は同じ場所に残ったまま目の前の池を見つめています。見事な対比です。これを描くためにすべてのページがあるのかなぁ、と思ってしまうくらいの名シーンですね。

私たちも人生において別の道が見えてしまうと、今まで親しくしていた人や場所から離れていくことがありますよね。

つまり「あなたはどう生きるのだ」という問いを投げかけているのが、この「日出処の天使」という物語で、ある意味哲学的なエッセンスもたくさん含まれているような気がします。

ずいぶん前になるけれど、マイケルジャクソンがインタビューで「私が作曲しているのではなくて、宇宙から降りてきたものを歌にしているのです」って語っていました。

天からの波動を受け止めて描かれたのか、キチンと構成ありきで描いたのかはもちろんわかりません、が。この漫画は宇宙の鼓動をキャッチしたかのように心に響きます。

若い頃は「日出処の天使」を読んで泣くって事は皆無でしたが、今回はまぁお伝えしたような事を色々考えながらの読み手となり、涙ボロボロでした。年をとったなぁ(遠い目)。

人は孤独である、あなたも私も。でも、それとどう付き合うかで人生の質は変わるのかもしれませんね。


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