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小説は心を捕らえる。

先日「未必のマクベス」を読んだ。
ここ数年はKindleメインで紙の本を買っていなかったのだけど、本屋さんで見かけたこの本を手に取って、Kindle版があるのを知りつつ、そのまま購入した。不思議なことだ。いつもならありえない。

一気読みだった。
未だに私の心は香港から澳門に漂う。 


私はどちらかと言うとロマンチストだと自覚しているけど、かといってコテコテの恋愛小説が好きかと言われると好きじゃなくて、ミステリーやサスペンスを好みつつ、その中に恋愛要素があるとときめく。
また、ハッピーエンドを好む反面、どうしようもなく切ない作品にも心を囚われがち。だから、シェイクスピアの「ハムレット」や、エーリッヒ・マリア・レマルクの「凱旋門」なんかは、ドンピシャで好きだったりする。(蛇足だけど、ケネス・ブラナーのハムレットは最高オブ最高。4時間の超大作ゆえ、劇場公開時には途中インターバルを挟んだ伝説の作品。)

話を戻して、この作品、もちろんツッコミ所も多いし、舞台が2009年とはいえ、主人公がヘビースモーカーなのは好きになれないし…タバコが男性の「カッコイイアイテム」から外れて久しいだろう。
大手企業の持つ裏の顔が反○もビックリなところにも、苦笑せざるを得ない。

でも、そんな瑣末はどうでも良くなるぐらいガツンときた作品だった。

主人公はとあるIT企業の部長代理。東南アジアでの営業をメインにしていて、取引を終えて帰国の途についていたところ、トランジット先の香港を目指していた飛行機が、急遽澳門にダイバートする。
そこから運命が動きだす。
「王となる」と、謎めいた娼婦に言われ、シェイクスピアの四大悲劇「マクベス」になぞらえた旅路がはじまる。なぜと、謎が絡み合う中で、歩み出す主人公。
高校時代の友だちで同じ会社の同僚、某国の亡命王子、高校時代の淡い恋の相手、そして今の恋人…主人公は薄いけど、確実に迫るたくさんの「死」の現実と向き合いながら、どこか読み手には淡々として映る。 そして、いつしか彼は自分が「王」であることを、ごく自然に、まるでそれが当たり前のように受け入れ始める。

ここで言う「王」とは、ある意味メタファーであり、実際に彼が一国の王である訳では無い。でもページを繰るごとに、彼が「王」であることを読み手は知っていく。

ところで、個人的に小説を読む時はあまりキャラクターに情を移さないようにしている。なぜなら、そのキャラクターが死んだり辛い目に遭うと、私自身が引っ張られてしまうから。
心の乱れを生み出さないために、一歩線を引く。 この人が死んでも、辛くても、そういうキャラクターだったと俯瞰してみられるように。

でも、この淡白な主人公が私のこの意識的努力を破壊してくれたおかげで、今、本当に困ったもんだ状態になっている。
結果的に私は、この主人公に情を移し、持て余す読後の感情を今この場に書きなぐることになった。


ここからネタバレになるけど、彼は「王」であり、マクベスだった、それは逃れられない道であった。だから、読後、彼の旅路は無駄だったのでは無いか?という問いが一瞬頭を過ぎる。
なぜなら、結局この「アペンディスク」は彼の手で終わらなかったから。

しかし、高校時代の淡い恋の相手と、今の恋人のあの邂逅があって初めて、彼は「王」であり、マクベスであったけど、同時にその旅路はマクベスとは違う帰結となったことに気づく。
そして、この「王」の物語は、アペンディクスに捕らえられた悲劇に主軸を置いたものではなく、「王」が、彼が、神様から与えられた二人の女性への「気持ち」を抱いて、命を賭して二人を救った物語であったことを知る。

なんて、せつなくて、ロマンチックではないか。

冒頭、私が好きな小説について書いたけど、この作品は全て兼ね備えてて、結果的に私が心を捕らえられて、然るべき作品であったというわけだ。


そして最後に思う…これは私が女だからなのか。


マクベスに愛されて、レディ・マクベスとなった高校時代の恋の相手と、レディ・マクベスになれなかったけど、彼の最期まで「恋人」であった女性、どちらが幸せだったんだろうか、なんて。


「生涯の伴侶と永遠の想い人は別でもかまわない」
とある言葉を思い出す。




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