汚部屋に注意

最近こうツイートした
「ADHDは軽自動車にフェラーリのエンジンを搭載したようなものと例えることがあるけれど、 脳科学講師の友人によると私はそれにサイドブレーキをかけている状態らしい。 生きてるだけで疲れそうと言われたけどwww 最近はブレーキの効きが悪くなってたのか、いろんな人に怒られるww」

なんとなく部屋がものすごい散らかっている気がしていて
子供が小さくて手がかかるのもあるし
おもちゃなんて数秒で床中に散らかる

壁にはお姉ちゃんが書いた大きな絵を何枚も貼っていて、
洗濯物はいつも通りオットマンの上に重なっている
シンクは洗っても洗ってもなんか溜まっているし
(食洗機あるのにw)
出窓にはフルーツと装飾といつもの
未処理の封筒や幼稚園のお便り の山

散らかってんな

そう言えば
頭の中が常にぐちゃぐちゃで
授業中は集中できなくて
でも没頭して何かを完成させると
めちゃくちゃ褒められる仕上がりだったり
すべきことを書いたメモを見るのを忘れ
楽しみな行事も当日は行きたくない
飲み物は決まってちょい残し
人と群れると疲れる

こうきくとADHDなんだけど
最後の昭和生まれの私が小学生のころは
幸いなことに医療マフィアが小学校に入ってなくて
なんの診断も受けずに投薬も受けずに
いつも黒板に忘れ物をした人として名前を書かれながら
健やかに育った

中学校、高校、大学と学生時代は
たまに集中できなくてもなんだかんだ大学行けたし
仕事もそれなりにできたし、
いろんな本を読んでいると

いつしか私は繊細さんだったのかなと、
活発な敏感さん(HSS型HSP)
ということで落とし所を見つけた

よく考えたら私は大人になってからは
部屋を散らかすような人ではなかった!
ADHDっけはどこかへ追いやられ
繊細さんもどこかに追いやられ

なんならチャカチャカこなして
容量オーバーになっても
たまに鬱を発症して休んで
”復活”していた

度重なる鬱と自己肯定感が低すぎることで
カウンセリングを何年か受け
時がたち、子供が生まれ
自己嫌悪も目立つことなくハッピーに過ごせるようにはなった
終わり。

いや、
ADHDとHSP克服ストーリーで終わったのならば
私はここでこれを書いていない
社会活動もきっとしていなかった

時間をかけてやっとなった”普通の人”も
自粛期間なんて軟禁され考える時間ができたら
やっぱり元に戻るのは避けられなかったのかもしれない
止まってしまったら
歯並びみたいに元のバラバラな配列に戻りたがる
そんなことだったのかもしれない

2020年に社会の混乱の中で
なんだ、いかにも”普通”な人たちこそ
この狂気の構成員なんだと

そう気づいたら
私のちょっとオカシイ元の配列に戻っても
いいのかもしれない
そう思えるようになって

そうしたら「もっと殻を破れるよ」と
いろんな人に言われるようになって
なんだよ休ませてくれないのかよと

でも怒られることも増えて

「もっと殻を破れ」
そのおかしすぎる提案が
頭の片隅にはいつもあって

この前は、ひよこでも殻を破るのにと
大好きなお姐様から愛のある
ディスりをいただいたw

デモで主張したり、ユーチューブでの発信も初めて
確かに今までの私の存在意義がぶれ始めた

ホラン千秋似で、外国語が話せて、良い家庭に育ち
男の子と女の子を一人ずつ産んで
おしゃれな仕事をする旦那とおしゃれな生活をし

これ以上何が欲しい?
そうか、「私は誰?」それが知りたい

この世界に私は何を求めているのか?
私はこの世界に何を提供したいのか?

おやおや
ちょっとオカシナ思考回路ですね
この地球の蟻のように小さい私に何ができるのかと

世間の正論(狂気だけどな)から遠ざかり、
自分に意識を向ければ向けるほどに
例のサイドブレーキが壊れ出したww

思えば鬱を繰り返していたのは
サイドブレーキをかけて自分を隠していたから
それに違いない

1時間ほど家を空けるので
母を家に召喚して子供のお守りをしてもらった時
汚部屋ぶりに唖然としたそうだ、

母はあまりのショックでその場では言えずに
1日空けてこう伝えられた
「魔物が住み着いているみたい」
「片付けてあげようと思ったけど
どこから始めたらいいのかわからなかった」
「色々と抱えすぎていないか心配だよ」

大人になってからの私のこんな姿は
みたことがなかったのだろう
確かに以前の私はこんな散らかりようをみたら
発狂していた

汚い部屋はマインドと繋がっている
頭がぐちゃぐちゃだから部屋もぐちゃぐちゃになる

それは私自身もソワソワするし心地よくないから
何を負担に感じているのかを自問し、
壁の絵を剥がし、いらないものを捨て、
書類に目を通して捨て、
人に返事をしTODOを全部片付けた

ぐちゃぐちゃは片付ければよかろう
ぐちゃぐちゃになる自分を否定することに
エネルギーを使うことよりも

あるがままを一旦受け入れる

頭のぐちゃぐちゃ混沌カオスに自らはいり
人類のためのヒントを探してくる
そしたら出てきた時には
手に何か持っているかもしれない

そしてたまに汚部屋を指摘してくれる人が
いれば、社会生活もなんら問題ないのだと思う

ADHDのお子さんを抱える親御さんがいらしたら
(うちの子は一人多分そう)
もしかしたらうちの子は
誰もはいりたがらないゴミ山に、
人類を救う宝を探しに出かけている
勇敢なお子さんなのかもしれないと
想像していただきたい

私は忘れ物で黒板に名前を書かれて
毎日怒られるくらいで済んだけど、

今時代の子はそんなんじゃ済まされていない
黒板に名前を書くのはいじめだと禁止されるのに
実際には多動というアイデンティティを
無理やり投薬で矯正されている
そんな子供がたとえ”普通”になったとしても
自己の存在意義・価値を問い、
生きる喜びがわからなくなってしまったのであれば
苦しみを長引かせているだけかもしれない

サイドブレーキをかけるのは自分
外すのも自分

そばにいる人の役割は
矯正することではなく指摘すること
「部屋が散らかっているよ」

きっとそれだけで多分充分

私は今回の汚部屋宝探しツアーではこのような
ヒントを持って帰ってまいりました。
どうでしょう?

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