5月 Mrs. GREEN APPLEにハマった話

5月。Mrs. GREEN APPLEにハマった話。
いつも何かにハマると、いつのまにか初心を忘れている。最初の印象って本当に取り留めのないもので、後から考えたら理解できないようなことだったりするけど、それを残しておくことに価値はあるなと今まで痛感してきたので、今回書いてみた文章。
とはいえこんなものを世に放つのは憚られてこのまま自分の中にしまっておこうと思っていたけど、なんとなく6月も末になって公開することにした。
(※内容については5月末時点で書いたものそのまま、アップするにあたって一部表現が変なところを直したけど、気持ちの部分は遡って加筆修正などしていません。映像の記憶が曖昧なところなど多々ありますがご了承ください)


1.受動的邂逅
5月初旬。友達と行ったカラオケで、私は初めてミセスの曲を知った。

【ケセラセラ】
ミセスグリーンアップルというアーティスト名も曲名も、どこかで耳にしたことはあった気がするけど、ちゃんと「これがミセスの曲だ」と認識しながら聞いたのはこれが初めてだった。
友達が「○○(とあるアニメキャラ)はカラオケでこれを歌うって公式で言われてて」と前置きしながら歌っていた曲。その時はただ、そのキャラクターのことを思い浮かべながら「こんな歌詞、あのキャラが歌うかな…歌うか…」などと考えていた。
それにしても幸せな曲だな、私もこういう考え方ができればいいのに、などとカラオケの場に似つかわしくない感傷に浸りそうになったのはなんとなく覚えている。「生まれ変わるならまた私だね」
衝撃的というか、眩しいというか。それほどまでに今に満足していて、またチャンスがあってももう一度選び取りたい人生ってなんだろうと思った。もしかしたら納得いかないところがあってやり直したいという気持ちも含まれているのかもしれないけど、それもひっくるめて、輝かしくて素敵で真面目な生き様を歌っているなと感動した。その時はそれだけ。難しそうなリズムも、サビに向かう盛り上がりも、壮大なフィナーレも、後から思い返せば印象に残っていたはずだとも思うけど、友人の歌の上手さと、物思いに耽るのにそぐわない雰囲気のおかげでその時は単なるいい曲の一つとして頭の片隅に記録されただけだった。

友人はその曲以外にもいくつかミセスの曲を歌っていたような気がする。Magicは覚えている。MVで壮大な山や道路を走る車を上空から映した映像を見て、「相当お金かかってるな、それができるアーティストなんだな」などというどうしようもない感想を抱いた記憶があるので。(普段J-popのMVなどをあまり見ないのであの規模の撮影が珍しいかもわからないけど)
あとボーカルの人が楽しそうに歌っていて素敵だなとも思った。

帰り道、いつもの通り音楽アプリを立ち上げてみたとき、ふと思い浮かんだ。
「ミセスの曲聞いてみるか」
某アプリでアーティスト名を検索してみると、たくさんアルバムがヒットした。とりあえず聞いてみようと思ってランダムに再生を開始する。
歌が上手い。曲がいい。いくつかの曲に似たフレーズやコード進行があるな、などということに気付いて感動した。少しでも良いなと思った曲はすぐにプレイリストに入れる習慣があるから、多分その一周目でも何曲か入れた。
はじめに入れた曲はアウフヘーベンだった気がする。


2.顔を見る。百聞は一見にしかず。
アーティストとして活動しているグループへの評価として相応しくないことは百も承知だが、最も深く私の心に刻まれた感情をあえて包み隠さずに記したいと思う。

その数日後。一人でカラオケに行った。
歌は上手くないが歌うのは好きで、おそらくカラオケには人並み以上の頻度で行っているのではないかなと思う。ただし一人に限る。
いつものように好きなアーティストの決まった曲を歌っていく。ところがなぜか1時間もしないうちに疲れてきて、途中で歌うのをやめてしまう曲が続いた。退室予定時刻を見てあと2時間もあるじゃん、とため息をつく始末。本気で早めに切り上げようと思った。
その日は幸か不幸か「新しい曲を歌えるようになろうキャンペーン」の日だったから、ほかにも新しく覚えたアーティストの曲を歌ってみたりしていた。上手く歌えず、さらに気持ちは沈んでいった。当然である。楽しみに来ているのにどうしてこんな気持ちにならないといけない?むしろマイナスでは?という思いだったが、一縷の望みを託してミセスの曲を検索してみた。
案の定全然歌えなくて、ガイドボーカル(その時見つけた新機能)を聴きながら練習とも言えないような時間を過ごした。先に家で原曲を聞けよ。
ただ、全く知らない曲を最初にカラオケのオフボーカルで聴く勇気はなかったから、何度か聞いた数曲を流してみたところで、またやることがなくなってしまった。
ふと曲の一覧の中にライブ映像があることに気づく。よく考えれば、カラオケの大画面で円盤鑑賞会をすることもある。一番の目的は歌うことだけど、大画面と高性能な音響の恩恵にあずかるのもカラオケの活用法の一つだなど気付いた。

【ニュー・マイ・ノーマル】
たまたまその時目についたから、聞いたことない曲だったけど押してみた。
華やかで明るいステージ、一体になったファンでいっぱいに埋め尽くされた客席に期待が高まる。アップテンポなイントロが始まって、程なくして力強い声が響く。直感的に好きな曲だなと思った。
直後、大森さんの顔がドアップになった。初めて真正面からじっと見たかもしれない。楽しそうで、かっこよくて、かわいいなと思った。目元のキラキラが似合っていて、派手な顔立ちというわけではないけれど綺麗であることは確かで目を奪われるのはどうしてだろう、と思った。
引きの映像になっても、なぜか脳裏からその姿は離れなくて、ただ呆然としながら曲を聴いていた。盛り上がっていく会場、様々に変わる大森さんの表情、2人の超絶技巧、何段階にも展開する曲調など、目の前で煌びやかに切り替わる映像の中のたくさんの魅力は、衝撃的な感動の中に吸収されてしまった。
余韻に浸ることもなく、気づけば2回目を再生していた。少しだけ余裕が出て、細かい部分を見ることができたし、歌詞や曲の内容についても楽しむことができた。J-popに明るくないので単純な感想で恐縮だが、Cメロが2段構成になっているのがとても好きだった。(伝わらない)

そのあと、StaRtも見た。大森さんがスタンドマイクから離れて歩きながら歌っていたり、藤澤さんが鮮やかな金の髪や明るい笑顔とは裏腹に力強く繊細な音階を生み出していたり、若井さんが真剣な表情ながら柔らかく広がり鋭く景色を変えるようなベースを響かせていたり。

輝かしい空間への憧れを感じつつ、ただただ圧倒されていた。ちょうど新たに熱中するものを探していた私の心は、その存在を何にも阻まれることなく吸収していった。


3.刷り込み、中毒
毎日毎日ミセスの曲を聞いた。
朝夜の電車の中でも、昼休みの短い時間すらも。
今まで聞いていた他のアーティストのプレイリストを全て入れ替えて、名前も「m」に変えて、狂ったようにそれをリピートした。
何も考えていなくても頭の中に流れるし、早く覚えて歌いたいし、聴けば聴くほどいい曲であることに気付けるし。
新たな沼に全身を沈めたことを誰にも言わず、ただ一人で抱え、内側に気持ちを膨張させ続けた。
心の中では「一週間前の自分とは全く違う。なぜならミセスを知ったから」などと言いたいくらいだった。ひねくれた人間なので自分が何かのファンであることを公表するのを躊躇う傾向がある。(この件については長くなるので後述、するかもしれないししないかもしれない)

昔から何かにハマる時は一瞬で、それこそよくある「雷に打たれたような」という表現がぴったりなほど。「なんか気になる、調べてみよう」→「好きかも」→「そういえばずっとこれのこと考えてるな」→「…心も頭もジャックされてるレベル、人生」の過程が非常に急速に進む。今回も例外ではなく、瞬く間にミセスの音楽は私の生活の中に不可欠、というか、あって当然なものの地位に上り詰めていったのである。

4.変幻自在の大森元貴
5月も末に近づいたある日。一人でカラオケに行った。また。別に歌が上手ではないのにこんな頻度で行くなんておかしいな。自分でもそう思う。

今度こそ少しはミセスの曲を歌えるようになっている、はず。誰に聞かせるわけでもないけどレパートリーが増えることは嬉しい、などと思っていたが甘かった。歌ってみると難しい。当たり前である。
早々にまた映像を見るモードに切り替えて、前回見なかった「本人映像」シリーズを再生してみることにした。してしまった。

【ライラック】
始まった瞬間から、目を疑った。
学生服を、着ている…? 公式で学生…そんなことをしてもいいんですか…?本当に公式?
爽やかに笑い、困ったように肩をすくめ、堂々と歌うその学生の姿は大森さんそのものであることは間違い無く、優しい笑みを浮かべる藤澤さんもクールに俯く若井さんもいた。学校の教室に、制服を着て。ついでに教壇に立つ先生も大森さんだった。
何がなんだか分からなかった。別にMVなんだから何の服を着ていてもいいだろう、ifの世界線だってある、そんな冷静な分析(言い聞かせ)とは裏腹に、表情は人に見せられないほどに緩み、歌うことなどできなかった。
大人になってそんなことある?と自分で思わず口にした記憶もある。にやけが止まらなくて歌えない、なんて聞いたことない。あっても言わないか、私も人に言わないし。
こんなに長く小難しく言葉を並べて感情を言葉に起こして記録しているが、ただの綺麗な顔に耐性のないオタクだと言うことがバレてしまった。こんな事細かに蓋をしてしまいたいような記憶を反芻していて恥ずかしくないのか、と問われれば、少しも恥じることなく堂々と「恥ずかしいよ!」と答えられる気がする。
ここに書くことでどうにかこの気持ちを昇華させられますように。

様々な人に扮したメンバーの登場という驚きと、そのビジュアルごとのギャップもさることながら、眩しさの溢れる青春の映像に短編映画を見ているような気持ちすらした。
その一方で、歌詞に則った翳りのある描写や底抜けに明るいわけではない全体像も、私の心に波のように鈍く痛みと悲しみを与えていたらしい。(というのも、その日の夜この曲が頭の中に流れ始めて小一時間ほど断続的に号泣するという精神状態に陥ったときに初めてその痕に気づいたから。ただこの部分は単なる私の特異な感情の発露なので、今回の文脈にはそぐわないものとして省略する)

【ニュー・マイ・ノーマル】
またこの曲?!そう、またこの曲。
何度この曲に精神を乱されれば済むのだろうか。

ライラックの余韻も冷めやらぬうちにまた新しいMVを見た。一番好きな曲のうちの一つだったしたくさん聴いていたから、少しは歌えるようになってるかなと楽しみな気持ちもありつつ曲を入れた、はずだった。
カラフルな部屋の中で歌い出す大森さんのビジュアルが、あまりにもよかった。黒髪に白のメッシュ、バチバチに上がったまつ毛に始まる綺麗な顔を引き立たせるメイク。中性的な美しさすら感じられるそのお顔と、黒と赤のコントラストの素敵な衣装、ジャラジャラのアクセサリー、サビに入った瞬間の楽しそうな表情と動き、迫力と伸びがとどまることを知らない安定の歌声。大森さん……
しかも前髪アップバージョンとおろしバージョンの2種類のビジュアルがある、どういうこと…?

藤澤さんの黄色いカラーは柔らかくて素敵だし、ピンクオレンジっぽい髪が似合ってるし、でもスタイルめちゃ良くてカリスマ性が溢れ出ている。若井さんは青が似合う、この人のための色?というくらい。表情があまり変わらないのかと思いきや全然笑顔を見せてくれるし、やっぱり超絶技巧がすごい。
3人が本当に楽しそうな様子が見られて嬉しい、と思いつつ、大森さんのカメラ目線が出るたびに息が止まっていた。カラオケの映像ってすぐに一時停止できないのがつらい。感情を整理する時間をくれ。本日二度目の歌えない現象、もう対処法は理解した。歌おうとしなければいい。目の前の映像を受け入れて、思う存分浴びるしかない。

覚悟を決めても、衝撃は大きかった。どうしよう、みたいな呟きすら漏れた気がする。
嵐が去った後のように荒れた(…というとよくない意味のようだから、パーティーの後の紙吹雪やらキラキラのリボンやらがあらゆるところに散乱したような状態、とでも言おうか) 私の心は、しばらくあらゆる音と映像を拒んだ。カラオケにいるのに。
ある程度落ち着いてから、他の曲を入れてみたり、またMVを再生してみたり(なぜ)しながら残りの時間を過ごした。ナハトムジークもやばかった。あまりにも心がぎゅっとなって、自分の弱さを反省した。

5.偶然の許容への道のり
その日、初めてミセス公式、メンバーのSNSを見てみた。(遅)
見たことないほどのフォロワー数、改めてその人気さを認識した。投稿を見てみると、10月のライブの申込期間だという情報が。(本当にちゃんと調べていないのがよくないけど、朧げながら最近活動休止報道の記憶があったからまだそれが続いていると勝手に思っていて、しばらく現場ないのは救いだないきなりは大変だし……くらいのことを考えていた)
それもあって、10月というちょうどいいタイミング、しかも今申込期間中、奇跡…!という謎の気持ちすら湧いてきてしまった。(勘違い新規ハイ)
その場で少しずつ投稿を遡ってみて、大森さんのアカウントにもすぐに辿り着いた。
その日は、ちょうどあの「ゎ」の次の日だった。ファンの方は慣れていることなのかもしれないし、そこにさまざまな意味を読み取るべきなのかもしれないけど、初めてみた私は、なんだこの投稿は…!という驚きと感動と嬉しさが一気に込み上げてくるのを感じた。ただ単純にかわいいなとおもった。

同時に、公式サイトも初めて見てみた。これまでの活動の記録や楽曲、これからの話、並んだ情報量の多さに圧倒された。当たり前だけど何も知らなくて、これから知っていくことができるのだろうかと不安になった。多分これからの楽曲をふわっと追いかけていくことはできる。聞いて楽しんで良い曲だと感動することはできる。だけど、その奥にあるメンバーの想いやバックグラウンドを知れたらもっと楽しめるのではないか。でもそれは義務なのか? 新たに何かに熱中できそうで未来は明るいはずなのに、それに相応しくないモヤモヤした気持ちが渦を巻いた。

何かに新規参入するのは勇気がいる。これまでの軌跡を遡ることができたとしても、リアルタイムで一緒に体験してはいないという事実は永遠に残り続ける。でもそれが悪いことかと言えば必ずしもそうではないのかもしれない。
きっとこれは本人の気の持ちようで、どういうスタンスで応援していきたいかによるのだと思う。私はミセスに関してそれをいまだに定められていない。
だけど、しばらくはただ曲を聴いて、インタビューを読んで、パフォーマンスや写真を見て…とにかくこのまっさらな(?)心と頭で、全てを楽しんでみようと思う。まだまだ見ていないMVがある、それを検索して再生してみたら、すぐにまた何も考えられなくなって、「最高すぎる…」などと呟いてしまうんだろう。今度は止めながら見られるから、いくらでも時間をかけて、自分のペースで。出会ったのが今だったことを喜べるくらいの気持ちでいられたら良いなと思う。
難しいことを考えるのは、もっと後からにしたい。

一ファンとも言えない新参者が、新しい沼に垂直に突き刺さって動けなくなった話、完。


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