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【試訳】英国魂の語り手ジョン・ル・カレ、アイルランド人として死ぬ(2021)

The Guardian 2021.4.1 より試訳。括弧は訳注。「ブリテン」と「イングランド」は訳し分けを放棄し原表記での呼び名を【】内に併記。エイプリル・フールのネタだという可能性はこれを却下する。


英国魂の語り手ル・カレ、アイルランド人として死ぬ 息子が公表

── Brexit反対派の作家、ヨーロッパ人であり続けるためアイルランド国籍を取得

「英国らしさ【イングリッシュネス】」の偉大な編纂者であり、またそれに実態を与えることに寄与してきた作家ジョン・ル・カレ(1931-2020, イングランド)は、最大のどんでん返しを彼の小説ではなく彼の人生の幕引きにとっておいた。彼はアイルランド人として死んだのである。

典型的な英国人【イングリッシュ】のスパイ、ジョージ・スマイリーを生み出した作家ル・カレは、「ヨーロッパ人」であり続けるため、そして彼のルーツを表すため、昨年12月に89歳で死を迎えるまでにアイルランド国籍を取得していたことを息子が明らかにした。

「父はアイルランド人だった── 死ぬときは。」ニック・ハーカウェイの筆名で活動する作家ニコラス・コーンウェル(1972- , ル・カレの息子)は、毎土曜放送のBBCのラジオドキュメンタリー番組で語った。「最後の誕生日、私はアイルランド国旗を贈った。だから、私の持っている父の最後の写真は、アイルランド国旗にすっぽりくるまって座り、にんまりしているところだ。」

『寒い国から帰ってきたスパイ』『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』など絶大な人気を博すスリラー小説の書き手であるル・カレは、長年Brexit反対の立場を明確に表明していた。しかし、彼がアイルランドの血を引いていたことは、これまでその全容を知られてこなかった。

自らのルーツを調べるために祖母の出生地であるコーク(アイルランド南部の都市)を訪れたル・カレは、そこで市のアーキビストの抱擁を受けた── コーンウェルはドキュメンタリーで語る。「彼女は父に言ったんですーー“おかえりなさい”と。」

彼の友人かつ隣人でもあり、ル・カレのドキュメンタリーをつくった弁護士のフィリップ・サンズ(1960- )によれば、この訪問はある種の「感情の変化」── 歴史と、彼自身への新たな意識の芽生え── のきっかけとなった。

“デヴィッド・コーンウェル” の名で生を受けたル・カレは40年代末、スイスでドイツ語を学びつつ、英国秘密情報部のために働いた。イートン校で教鞭を取ったのち、諜報員として英国外務省に勤めた。彼の仕事は、ロンドンのカーゾン・ストリートにあるMI5オフィスビルから、鉄のカーテンの陰で暗躍するスパイたちをリクルートし、指導し、世話をすることだった。作家でもある同僚のジョン・ビンガム(1908-1988)の影響で、ジョン・ル・カレの偽名でスリラー小説を発表するようになった。

アイルランドの作家ジョン・バンヴィル(1945- , 別名ベンジャミン・ブラック)にル・カレが語ったところによれば、彼は英国【ブリテン】のEU離脱を決定付けた国民投票によって、英国【ブリテン】に幻滅を懐いた。「Brexitはまったく非合理的だと私は思う。我々の惨めな政治的手腕の証左だ、ひどい外交パフォーマンスの数々だ。私は自分と英国【イングランド】を結びつけるものを、ここ数年間で大方失ったように思っている。これがある類の、自由になるということだろう。悲しい類のだとしても。」

サンズはドキュメンタリーの中で、ル・カレの人生や、彼と祖国の関係を掘り下げている。アイルランド国籍の件についてはごく最近知ったとサンズはタイムスの記事で述べている。

「私はこの件を知らなかった。私たちが一緒に過ごしたときも、ほんの数週間前、かの作家の祖国をめぐる彷徨に思いを馳せながら記録を調べ始めたときにも。最終的に、彼には三つの祖国があった── 自分の生まれ育った国、精神的な祖国、そして祖先の国。」

「精神的な祖国」とはドイツだった。ドイツは2011年、ル・カレにゲーテ・メダルを授与した。「ドイツ語と国際的な言語文化に傑出した貢献を行なった人物」に与えられる国家勲章である。

「16歳のとき、私はどうみてもソ連の収容所みたいな英国【イングリッシュ】の寄宿学校での11年間に及ぶ強制労働にケリをつけた。1949年── 戦後わずか4年── 私はドイツ精神を吸収してやろうと決め、スイスのベルンに脱走した。」ル・カレは2010年に語った。彼は1959年からボンの英国【ブリティッシュ】領事館で、英国【ブリティッシュ】諜報機関のエージェントとして働き始めた。

1963年、3作目の小説『寒い国から帰ってきたスパイ』のヒットには作家自身が驚愕した。原稿は勤務先の承認を経ていた── 「なぜなら最初から最後まで荒唐無稽の作り話」だったから、と彼は2013年に述べている。よって、機密漏洩には当たらないだろう、ということだった。

「ところが、この話は単に正真正銘の実話だというだけではなく、衝撃的な“遠方からの手紙” だという思い込みを抱いてしまった世界中の報道陣の目には、そうではなかった。私は為すすべもなくじっと座り、ある種の畏怖に凍りつき、私の本はベストセラーのリストを昇りつめ、てっぺんにとどまり、その間にも“これは現実の話だ” という専門家やら学者やらの発言が次から次へと報道されていた。」

(了)

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