【応募原稿】だれでもつくれる大人数の食事 94版 前文(2021)

合宿の食費を賞金で浮かせたくて「ディストピア飯小説賞 」に出した原稿。

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当マニュアルは、当戦線に所属する歴代の補給係(開戦当時は「調理係」と呼ばれた)の書き継いできた『だれでもつくれる大人数の食事』(初版2019)を現状に応じて改訂するものであり、ともに任務に当たる各主体との交流や引き継ぎを通して今後も改訂される。

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 仕事にかかる前に前世紀の書物を紐解いてみたい。忘れられた言説ではあるが、われわれの任務において重要な問題を浮かび上がらせるものだ。

「偽の分類学によれば、動物は以下3つのグループに分類される。わたしたちがテレビを一緒に見る動物、わたしたちが食べる動物、そしてわたしたちが怖がる動物。」

ロージ・ブライドッティ『ポストヒューマン』


 刊行当時、21世紀初頭、アメリカ合衆国と呼ばれた地域の一主体であったブライドッティは「ポストヒューマン」の概念を検討し、従来の主体と異なる「ポストヒューマン的」な主体のあり方を唱えた。長く自明とされてきた「ヒューマン」概念(一般に、ヒトが自らをヒト以外の生物から主体および社会的関係において分ける内面的基準を指す)の特権性に対し、前前世紀の一主体であるジャック・デリダらによって提起された批判を踏まえたものである。
「いずれにせよわれわれは他者を食べるのだから、問題はどう食べるかということだ。」と20世紀末のデリダは言ったが、しばしの時を経て食べられるほうも俎上に上がった──現在の言葉でいえば融合器内に投入された。食うから食われるへ──当時として先進的な危機意識の表明であった。


 いまやわれわれの環境は更に危機的なものへと変わった。「テレビ」はもとより「動物」も既に親しい存在ではない今、有史以前から変わらない問題が、隠しようもなく露呈するだろう。われわれにとっておよそ世界中のものは、われわれが①食う ②食われる ③ひょっとしたら食うか食われる に分かれるのである。(※1)


 しかし融合器を前にするとき、われわれは食う、あるいはひょっとしたら食う以外には目もくれず邁進し、行動する主体である。過去の哲学者がなんといおうと、いかに技術や環境が変化しようと、われわれは前世紀から、いやもっと前から、主体を脱出するに適した身体的な進化を遂げなかった。少なくとも現時点に至るまで、われわれはこの戦線とおなじく、ただこの主体に膠着する。そしてどう食べるかの問題が、厳然と、消えようもなく、われわれとともに存在する。
 ここにおいてわれわれは闘うという。われわれの任務は闘いであり、われわれは闘うのである。


 さまざまの戦線があり、闘い方は一様ではない。われわれの戦線の補給係の任務においては、持続させること、つまり、いつ、誰が任務に当たってもそこそこやっていけることがのぞましい。同時に、係自身の他の任務や勉学・訓練に負担をかけないことがのぞましい。

 われわれは多層的な存在である。多層的存在は一主体でいくつもの戦線にある。他の任務や勉学や訓練の戦線もまた、持続されねばならない。組織や設備や予算が大きい場合、また気候が穏当な場合は戦線の外注化が可能かもしれない。しかし、われわれの補給係はさしあたり一主体、またはごく少数の助けとともに補給に当たることになるだろう。
 
 よって、最小限の時間と労力で必要を満たす以外の働きは避けることを大原則とする。その時々の係の判断にもよるが、たとえ「食の喜び」や未知の食材への好奇心を満たすものであっても、原則的にはこれを切り捨てねばならない。(※2)
 われわれはより大きな喜びを知っている。


 続くページでは補給──歴史に敬意を表し、われわれはこれを「食事」と呼ぶ──に関する具体的なマニュアルを記載する。


文責:H041547(107期補給係長)

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※1 ブライドッティは「動物」の話をしているが、われわれはこれをカルチャード鯖、マルチゾーエ、CCCなど、われわれの見知った存在に置き換えて理解する必要がある。融合機も「ひょっとしたら食う」に含めてよい。われわれの闘いは「やってみたけどやっぱ無理」を許容する。「やっぱ無理」を許容しない闘いは持続しない。


※2 係個人の能力がたとえ野菜などを扱うのに充分なものであったとしても、少なくとも戦線に所属する間は野菜などを扱う欲求は抑制してほしい。野菜をよく知らないので雑な物言いになるが、経費的に戦線の持続が難しい。
 なお最近、基地にオグラモドキが棲息している。係個人の能力がたとえオグラモドキを扱うのに充分なものであったとしても、経費的に戦線の持続に資するものであるとしても、さまざまな面を考慮して、さしあたりオグラモドキを扱わない


(了)


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