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水曜日の運動会
今日は運動会のようだ。通りすがりの保育園。小さな園庭にはテントからテントへと万国旗の連旗がのびている。
あれ?今日って何曜日だっけ?
水曜日。
週の真ん中水曜日。
彼女にとっては思春期に刷り込まれた言葉だ。
そういえば水曜日って休みたかったんだよなぁ〜と思い出す。
何故って週の真ん中だから(笑
考えればよく6日間も学校に行っていたものだ。
そんなに学校行っても彼女の学力が上がっていないのはあるひとつの好きに対する努力が足りないからだ(微
土曜日に半日学校に行っていたなんて今では考えられない。
忘れてしまったが運動会も土曜日か日曜日だった気がする。
時代は移り変わる。
休みが増えて彼女は何をしたかと考える。
彼女は自分のために何をしたのか?
彼女は自分のために優しくできたのか?
それはなんでもいい。
乗馬をしたり陶芸をしたり花に触れたり土に触れたり感じることを怠って生きてきた。
彼女は彼女の気持ちに正直に生きたのか?
運動会を見てそんなことを思うのか?と問われれば『そうですね』と微笑む。
彼女の記憶をたどれば彼女はずっと保育園に通いたかったのだ。何故ってその世界がとても楽しそうに見えたから。囲われた世界の楽しさと囲われていない世界の楽しさと。彼女は小さい頃それがわかっていなかった。
それはどちらか一方ではなくどちらも楽しいのだ♪
彼女はどうして保育園に行けないのかを問う。
お父さんとお母さんが2人とも働いていないと保育園に行けないということを知る。
複雑だった。保育園には行きたいけれどお母さんにはいてほしい。それが素直な気持ちだった。
毎日楽しそうな笑い声や音楽が聴こえてくる。
彼女はひとり部屋で遊ぶ。お人形ごっこが好きだった。
友達とお人形ごっこをする時は、お人形ごっこの中でいつも彼女が怪我をしたり病気になったりしていた。何故そうだったのか?気が引きたかったのだろう。気が引きたかったというか気にかけて欲しかったのだろう。
大人しかいない世界にいつもいる彼女と
子供がいつもいる世界を知っている友達と
一緒に遊ぶ時はきっと彼女を見て欲しかったのだ。
水曜日の運動会が彼女を幼少期に戻す。
それは気持ちのいい水曜日だった。
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