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お弁当のかわの

健康診断が再検査だったので、有休を取って検査へ行ってきた。
特に問題がなく様子見とのことだったので、来年の健康診断もしっかり受けたいと思う。一度やって満足で終わりかねないので、ちょこちょこ会社へ健診の話題を出すようにしよう。

気をつかうことや後ろめたく思うことをやめて、有休を取ることにしたので、それはとてもよいことだ。後輩も気をつかわずに月一度くらい取るようになった。このまま取りやすい環境を維持したいものだが、どうだろうか。

病院もお昼ごろに終わって、雨も降っていなかったので、前職のときによく行っていたお弁当屋さんへ行くことにした。

お弁当のかわの。
8年だか9年ぶりなのに、変わらずにそこにあってくれるのは本当に嬉しいことだ。
土日祝は定休日のため、平日に休まないかぎりはまた食べることができないため、いつか有休をとったら行こうと少し前から考えていた。

当時の僕は汐留の会社に出向していて、月から木はお金がないのでお弁当を持ってきていて、金曜日だけは買って食べるのを楽しみにしていた。近くの飲食店の持ち帰りメニューなどにそろそろ飽き始めたころに、別の部署の人の会話が偶然耳に入り、そのときに知ったのが「かわの」のお弁当だった。

「かわののお弁当」を買ったことを自慢してあるような会話が聞こえ、「かわの」という店名をインプットした僕は、すぐさま自席に戻ってGoogleで検索し、場所を把握して、その日に買いに行った。当時はまだ現在の場所に移転する前だった。

そして食べてみて、値段と味のアンバランスさと飽きのこないお弁当の種類に虜になり、毎週とても楽しみにしていた。真冬以外の雨の降っていない日はイタリア街のベンチで食べることもあった。

当時と同じように列に並び、お弁当を注文し、会計をする。変わらずにいてくれるのは本当にありがたいことで嬉しいことだ。
大きなカキフライの入った日替わり弁当にして、当時のようにイタリア街のベンチで食べることにした。

もっと感慨深くなるのかなと思っていたが、自分が思っている以上に感傷的な気持ちになることはなく、ただひたすらにお弁当が美味しいという気持ちだけだった。
あの頃はよかったなあ、なんてことは一切思わない。お弁当がおいしいが8割。懐かしいが2割。あの頃に戻りたいは0割。

たしかに当時は今よりも若さがあるが、今のほうがよっぽどいいかもしれない。あの頃はひたすらに漠然とした未来への不安ばかりだったように思える。今も未来への不安は沢山あるけれど、当時の僕は正規雇用を人参のようにぶら下げられたアルバイトだったし、実家暮らしだったし、彼女もいなかったし。

それが約10年経って、一応正規雇用で平均的な給料はもらっているし、結婚もした。楽しい趣味のスポーツも見つけて、一生懸命打ち込んだ結果、子どもたちにそれを指導する立場にもなった。もちろん会社への不満はたくさんあるし、不安なこともたくさんあるけれど、あの頃よりは少しはマシかもしれないなと思えた。

また10年経ったら、今の自分よりマシになってるといいなと思ったし、今度は10年なんて間をあける前にかわののお弁当をまた食べたい。

小さいころ住んでいた団地は無くなったし、卒業した高校も統廃合でなくなったし、バイトしていたお店もなくなったし、前職の会社もなくなった。小さいころは人や動物はいなくなることがあることを理解していたが、場所が無くなることなんて思わなかった。不動産、というだけあった動かないもの、残り続けるものだと思っていたのに、もしかすると人よりも急激に形を変えるものかもしれないなと思うこともあるなと今は思う。

だから昔と変わらずにあり続けていてくれることが本当ありがたいのだ。もちろん僕が気づかないだけで少しづつ変わったこともあるのだろうけれど。

いい有休の使い方ができた。
また有休を取ってお弁当を買いに行きたい。


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