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倶楽部サピオセクシャル日記102:清濁併せ吞むのが大人のたしなみ。今夜「濁り」を鯨飲するアダルトなルーム

こんにちは、つよぽんです。

刑務所からの出所者を支援する活動をしている方がYouTubeインタビューに出演してくださることが決まり、どんなお話が聞けるか楽しみになっています。
【関連URL 元気が出るおっさんTV https://youtu.be/Jz47h922DxA 】

(この原稿執筆時、チャンネル登録 72人 2023年11月19日現在、チャンネル登録者100人を目指しています。チャンネル登録、まだの方はぜひお願いします!)

さて、その楽しみな気分のまま、昨日11月18日(土)のサピオセクシャル部屋のまとめをしていきたいと思います。

昨夜のテーマは「清濁併せ吞むのが大人のたしなみ。今夜「濁り」を鯨飲するアダルトなルーム」。

まず、漢字の読みを整理することから始めたいと思います。
清濁併せ呑むは、「せいだく あわせのむ」。
そして、「濁り」は、「にごり」。
「鯨飲」は、「げいいん」。
意味は、鯨が水をがばーっと飲むように、お酒をたくさん飲む時の比喩として使うようです。

清濁併せ呑むの意味は、諸説ありますが、「善悪の区別なく受け入れること。度量の大きさのたとえ」というものがあります。

ちなみに「濁り」には「よごれ」「けがれ」、仏教で「煩悩」という意味もあるようです。

僕たちは普段、自分と意見が違う人の言葉に耳を傾けることを疎(おそろ)かにすることはないでしょうか?
ただ単に「耳に心地良くない」という理由で。
脳みそがラクをしたい、というのもあるかもしれません。
しかし、自分と価値観の異なる人の意見は、自分にとって大きな価値がある場合があります。
なぜなら、意見の異なる人の話を傾聴することで自分では絶対に気づけない「問題の本質」が見えてくることがあるからです。

よしひこさんから、「大人になる」とは「清濁を併せ呑むこと」という言葉があった。
それに対して、とある方は、「それは本当だろうか?」、「清濁を併せ呑まない」という選択肢もあるのではないか?という疑問が投げかけられた。
この展開が面白かったし、疑義を呈してくれて有り難かった。
こういった教訓めいた言葉は時に権力を持ち過ぎ、僕たちはその言葉を無批判に信じ込んでしまうところがある。
「批判が出来ない」と言い換えてもいい。
それは時に僕たちを苦しめる元凶にもなる。
だから、こうしてみんなで話した時にその真偽のほどをチェックする必要がある。
それって本当なのだろうか?それって全ての人に当てはまることなのだろうか?と。

また、孔子の言葉に「良薬は口に苦し」という諺がある。
「よく効く薬は、苦くて飲みにくい」また、
「本当に自分のためを思ってしてくれる忠告は、有り難いが聞くのがつらい」といった意味だ。
この文脈を当てはめると、「濁(だく)を飲むこと」は有効な場合がありそうだ。

すこし比喩的な表現で恐縮だが、濁を呑むことでお腹を壊すこともあるだろう。
お腹を壊さないようになるためには、濁を定期的に呑むことで胃腸の消化能力を鍛えることも有効だろう。

ちなみに、「なんでも面白がれる人」という人種がいる。
彼らはどんなことでも面白がれる。
そのような人になるためには、「面白い」という口癖をつけるのが良さそうだ。

「面白がる人にとってはなんでも面白い。何でも不満を持つ人はどんなにお金があろうと不満だもんね」
これは芸能人、所ジョージの言葉である。

自分の力で面白がる。これは能動的な行為。
それで感情が大きく動くようになる。
自分から面白がれる人はいつも機嫌がよい。
所ジョージは、すべてを面白がっている。
それこそ、苦難も面倒臭いことも「楽しいこと」に変えちゃう力がある。
また、何が起ころうとその起こった出来事を楽しむ能力を身に着けている。

また、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がある。
これはドイツのビスマルクの格言。
自分が経験できないことでも、過去の先人たちが経験したこと、すなわち歴史を学ぶことでたくさんの経験を身に着けることができる、という意味。
自分と似たような人とだけ付き合っていたら僕たちは「清」のみと付き合うことになる。
自分とタイプの違う人とも付き合う(濁と付き合う)ことで、たくさんの経験を身に着けることができるのだ。

とある参加者さんは、上司や組織に従っているタイプだったらしい。
それはある意味、誠実だったとも言える。
しかし、それを続けていたら身体を壊してしまった。
当時の彼は時間管理をしっかりとして、約束(命令)を忠実に守っていた。
しかし、周囲には約束(命令)を守らない人がいた。
そういう人に対して彼は怒りの感情を抱いていた。
その時の自分のことを客観的に冷静に振り返ると、自分は上司から押し付けられた「守れ!」という圧力を断ることができなかった。
その断れなかった自分に対する怒りをその約束(命令)を守らない人にぶつけていたような気がする。
彼が対話の中でそう語っていたのが印象的だった。
このような現象をユングは「投影」と呼んだのだろうか。

今回の部屋を開くにあたって僕はエッセイのようなものを書いた。
その中に以下のようなことを書いた。
あまり整理されていないが、とりあえずそのまま掲載させてもらって終わりにしたい。

「嫌いな人のどんな言動が、どの部分が嫌いなのかを言語化してみる。
そして見つめてみる。
その嫌いな部分って、自分のなかの嫌っている部分を相手に「投影」していないだろうか。
これは「抑圧」と関係しているかも。
ちなみに、嫌いな人とうまくつき合わせなくていいと思うよ。
無理はしないほうがいい」


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