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倶楽部サピオセクシャルのモデレーターが考えていることとお願いしたいこと


つよぽんより

サピオセクシャル部屋をやっていると色々なことがある。
そんな中のひとつに「自分語り問題」というのがある。
それは誰かが自分語りをすることが問題視されることだ。
「自分語り」という言葉は、その「語り」の内容にあまり興味がなく、鬱陶しいという感情を抱いている聞き手によって否定的に用いられることが多い。
もちろんそのお気持ちはわかる。
しかし、一方で「聞かれてもいないのに自分の過去の話や自慢話などをとめどなく話し続ける」ということは、そこにその人なりの意味がある、とも言える。
だから、僕は「Aさんは、そのような気持ちを持っているんですね。ありがとうございます。今の話を聞いて他のみなさんはどう感じたかを聞いてみてもいいですか?」
そんな風にAさんの語りをきっかけに対話を動かせたらいいなと思っています。
それこそ、Aさんは自分の語ったことがきっかけで対話が続いていくことに嫌な気持ちはしないと思います。
もちろん、いつも必ずそんな風に対応するわけではありません。
自分語りをする人は話したい欲が強い人ですが、その欲を満たすことは大切ですが、一方で時間は有限ですので、時間を意識してもらう働きかけも必要かなと思います。
また、「話を聞いていてちょっと意味がわからなくなっちゃったんですけど、結局どういう意味ですか?」
そんな風に質問することも大事かなと思います。
このあたり僕は、clubhouse内での対話においてもう少し意識していきたいと思います。
ただ、音声だけでのやりとりなので、少し難しさがあるなと感じているのも事実です。

上記のような意味で、自分語りは大切だと思っています。
自分語りは、モノローグと言ってもいい。
モノローグは一人語りである。
対してダイアローグがある。
こちらは複数人での対話である。
一人語りを起点として対話が始まっていく、というのが一般的だろうと思う。
だからモノローグは大事なのである。
ただし、このモノローグがどれくらいの長さになるかが問題だろう。
もしも、モノローグが「対話のきっかけ」「起爆剤」として機能していれば問題ないのではないだろうか。
いや、むしろ歓迎すべきものと言ってもいい気がする。
誰かの苦労や悲しみ、しんどい経験、悩みが共有されたことをきっかけに「深い対話の時間」が訪れることがある。
人々はその時間からそれぞれ内的対話が生まれ、なにかしらの学びを得ていく。
そういうことが僕は対話の醍醐味ですらあると思っている。
ところが、モノローグがどこにも向かわずにモノローグだけで終わってしまうという事態もある。
みんなが興味のない話ならばそれは盛り上がらない。
しかし、もしかしたらファシリテーターが誰かの「一人語り」の中からキーポイントを抽出して、他の人たちに質問を投げかけることで場にまったく違う空気が流れ、みんなが自分ごととしてそのテーマについて考え始める。
そこがファシリテーターの腕の見せ所な気がします。
最後に一つ、言いたいことは、一人語りをする人には、どうかまわりの人たちの興味関心が離れ(薄れ)ていることに気付いてほしいということです。
そのためには、自分の話をしながらみんなの反応を見つめる、ということが出来るといいなと思います。
って、どうやってやるの?
それへの答えを見つけていきたいと思います。


Yoshihikoより

今回はモデレーターの片割れとして、ルームに参加してくださるみなさんへのお願い事を書こうと思う。

倶楽部サピオセクシャルを始めたのは、2021年の秋だったと記憶している。
最初は名前すらないクラブだったが、そのうちに個性的な名称を得て、多くの方々が参加してくれるようになった。

名前が定まるまでの経緯も面白かった。
「ぜんぜんセクシャルじゃないじゃん!」と問われる中で、モデレーターとしてやりたいことやルームの本質が焦点を結んだ。
こういった集まりを主催したことがない身としては、とても楽しかった。
支えてくれた方々にはあらためて感謝したい。

ただ、多くの人が集まると、どうしても軋轢が生まれる。
誰かが「よかれ」と思ったことが他者にとって苦痛であったり、欲求不満の源泉になるケースは少なくない。
人は驚くほど多様なのだ、とモデレーターを務める中で、あらためて気づかされた。

それゆえ、ルームにおいて「すべての人にとってベストの瞬間」はおそらく存在しないだろう、と思う。
誰かが楽しいと感じる瞬間は他の人にとって無為な時間、あるいは苦痛を感じる時間かもしれない。
無責任と言われるかもしれないが、モデレーターとしてそのことは受け入れているし、ある程度まで、スピーカーの暴走を許容している。
きこしめしている方がろれつの怪しい口調で語るのもまあまあ止めない。
一人語りに酔う方についても同じだ。
自分の話をするのは是とするところだが、聴き手への配慮を忘れた語り手は他の参加者に苦痛を与えうる。
自分にとって退屈な時間をぼくは「砂の時間」と呼ぶ。
倶楽部サピオセクシャルでは時に、「砂の時間」が長い。

正直に言うと、それはぼくにとっても苦痛なのだが、なるべく止めないようにしている。
稀少な知の喜びはその先にあると確信しているからだ。

テーマに沿って効率よく話を進めればトラブルを減らせるが、面白みも減る。
セレンディピティこそライブの醍醐味であり、少なくとも倶楽部サピオセクシャルにおいては、「砂の時間」に耐えた方が、断然興味深い知見に出会える。
ぼくと相方のつよぽんさんが、1年半を経てたどり着いた結論はそこにある。

それゆえ、弊ルームに参加する方にあらためてお願いしたいことがある。
弊ルームでは受忍限度を少しゆるく設定してほしい。
子供の遊びと同じく、話はあちこちに飛ぶし、一人語りに耽る人もいる。
一概に語るべきではないだろうが、ある種の生きにくさを抱えている人はそうなりがちだ。
気に入らない時間帯はミュートにして夜食タイムにしてもいいし、しばらく落ちてみてちょくちょく戻ってくるというのでもまったくかまわない。

その一方、モデレーターとして極端に無為な時間はコントロールする方向にシフトしようとも考えている。
参加してくれる方がいて成り立つルームなのだから、最適化を常に意識することは大切だ。

ぼくとつよぽんさんはこれまでトラブルが起きるたびに話し合い、ルームの方針を決めてきた。
至らぬことが多いモデレーターではあるが、参加者から届く声にはなるべく真面目に向き合ってきたつもりだ。
そうした活動を続ける中で、サピオな遊び場をこれからも提供していきたい、と考えている。

そんな二人にこれからも力を貸していただけるととても嬉しい。

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