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倶楽部サピオセクシャル日記70:赤信号は1人で渡れ!今夜はルールとの付き合い方を考える

こんにちは、リフレクターつよぽんです。
昨日、4月1日のサピオセクシャル部屋の報告をしたいと思います。
タイトルは「赤信号は1人で渡れ!今夜はルールとの付き合い方を考える」。

このテーマを考えてくれたのはこの部屋の相方のブックライターよしひこさんだ。
話題は、以下の新聞記事の事例から始まった。
広島の中学校で1月下旬、氷点下の朝、中学2年の男子生徒がジャンパーを着て登校したら先生から脱ぐように指導された。その夜、生徒は発熱をした。

その学校の「生徒指導規程」には、寒い時に着用を認めるものとして、セーター、マフラー、手袋とあるが、ジャンパーやコートの記載はなかった。
「何のためにルールがあるのか」という説明が抜けているのではないか、と有識者は指摘する。
母親から中国新聞社編集部に寄せられた投稿をきっかけに新聞記事が掲載された。
常識からかけ離れているのではないかという批判が寄せられ、ジャンパーの着用を認める学校が出てきた。

その話を聞いて僕が思い出したことは、
① 小学生たちが重たい荷物を毎日持ち帰っていて負担になっていることから「置き勉」(教科書を持ち帰らなくていい)を認めるよう文部科学省は2018年に通知を出した話と、
②高校野球の部員たちはなぜ坊主にしなければならないのだろう、ということ。
ちなみに、丸坊主の見直しは進んでいて、旭川大高校、慶応高校、土浦日大高校、小豆島高校など、全国で髪型自由の野球部も少しずつではあるが増えているようである。

この2つの事例について話そうと思っていたが、結局最後まで話す機会がなかったので、ここに書いておこう。

さて、今回出た話を列挙していきたい。
参加者さんから「サピオセクシャル部屋を開く目的」について質問された。
よしひこさんは「ここで友人になった人たちと楽しく話をしたい」「安心して楽しみたい」と語った。

僕は「自分が思っていることをみんなにシェアして、他の人の意見を聞いてみたい。それらの意見をきっかけに自分の考えが影響を受けたり、誰かが僕の考えや思いに共感してくれたら嬉しい。同様に、僕も誰かの気持ちに共感したり、賛同したいと思って、この部屋を開いている」そんなことを語った。

とある方は、「ここは大衆酒場、大衆の語り場みたいなところ」と評してくれた。
「サピオセクシャルな居酒屋」みたいな。
この発言を機に、リアルだったら集まれない場所住む人たちがオンラインで集まって語り合える場として有機的に機能していけたら、と改めて思わせてもらった。

「ルール」について「面白い経験」を語ってくれた方がいた。
その方は以前、児童館で働いていたことがあり、児童館に来る子どもたちにドッジボールに誘われていた。しかし、その方は「ドッジボールのボールを当てられるのが嫌だからやりたくない」と子どもたちに宣言していた。
すると、子どもたちは「そしたら、先生にはボールを当てないから一緒に遊ぼうよ」という特別ルールを作った。
子どもたちは「先生と一緒に遊びたい」「自分たちと遊んでほしい」だから特別ルールを作ったのだ。
なんと柔軟な。
これ、「すごく面白いな」と思った。
「ルールって柔軟でいいんだよね」ということに気付かせてもらえるエピソードだった。
こういう事例の提供はほんとうにありがたい。感謝である。

また、とある方が「この部屋で掲げられるタイトルにはエスプリの香りがする」と言ってくれた。
(ちなみにサピオセクシャル部屋のタイトルは毎回よしひこさんが作ってくれている)
この「エスプリ」という言葉。「なんとなくわかるけど、改めて言われるとどういう意味?」という質問が参加している方々から出た。そこで、今回、まとめを書くにあたり調べてみた。

「エスプリ」とは、フランス語で「知性」の意味で、英語の「wit」にあたる「機知」「才気」である。
批判精神に富んだ軽妙洒脱で辛辣な言葉を当意即妙に述べる才のこと。
機転が利く言葉で人を驚かせたり、楽しませたりする工夫。

これを読んで、僕は次のようなことを思った。
僕もエスプリが効く魅力的な人になりたい。
ここぞという時に自分の本音が言えて、人の気持ちを動かすような発言ができる人になりたい。

また、対話のなかで、「抑圧」が話題にのぼった。
僕は「抑圧することは出来るだけ避けたい」という思いを語った。
「自分が感じたことをなかったことにするのは精神衛生上、よろしくない」という気持ちからだ。
すると、よしひこさんから「抑圧」と「抑制」がある。「その二つを分けて考えてはどうか?」という提案をもらった。

抑圧とは、自分を守るために無意識的につらい記憶や感情を消してしまったり、失敗をしないようにそういうものに挑戦しようとする意欲を消してしまう防衛本能で本人は自覚が無いもの。ポイントは、無意識に行っていることである。別の言い方をするなら、抑圧とは、受け入れがたい感情を、意識から無意識の世界に押しやること。
一方、抑制とは、無意識の世界に押しやる抑圧とは違い、感情の爆発や衝動等を、本人が自覚し、意識的に抑え込む事。
抑圧とは違って自覚があり、抑え込むべきかは本人が判断した上で努力して行っている。また、抑制した事に関しての記憶もきちんと残っており、後々思い出す事も出来る。

また、よしひこさんが提案してくれた「抑圧」と「抑制」の他に「諦め」というものもある。
諦めは、仕方がないと断念することであり、思い切ることである。また、悪い状態を受け入れることでもある。仏教では物事を客観的に見つめたり、事実関係を冷静に観察できると「諦めがつく」という。諦めるといっても様々で、仕事や勉強、試合や旅行などの出来事やキャリアについて諦める場合もあれば、対人関係について諦める場合がある。

今回も大変興味深い対話が出来て、とても勉強になった。
みなさん、ありがとうございました。

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