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倶楽部サピオセクシャル日記71:七難八苦は人生のスパイス? 今夜はセクシーなソリューションを語り合ってみる

昨日は久しぶりに若い弟子くんと京都で取材。ライターは基本、単独で動くことが多いので、弟子くんと二人で請け負える仕事は楽しい。

今回の案件はWEBと書籍の連携がカギ。どう進めるか……頭の片隅で考えつつ、放置していた先週のまとめをとりあえず書いてみる。

◆戦国のドM武将――山中幸盛(鹿介)のめいげん

今回のテーマは相方のつよぽんさん発である。以前から、職場におけるお悩みをときどき聞いてきたが、人生における災難に人はどのように向き合っているのか知りたい、との声があったので、ぼくがこのタイトルに整えた。

 生きていると、さまざまな災厄に出会う。あるスピーカーは、それこそ定期的にやって来るものと覚悟している、と語った。そういった不可避の難事を「七難八苦」と称することがある。

 戦国の武人、山中幸盛は「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったそうだ。主家である尼子氏再興を願っての言葉とされており、江戸期以降は「忠臣」の鏡としてもてはやされた。

 人気ゲーム『信長の野望』などではこのめいげんゆえ「ドM」キャラ扱いされることも多いのだが、日本人のDNAにはそういった被虐性を善とする一種の奴隷根性が強い。ならばせめて、「スパイス」程度に認識できないものか、と考えこのタイトルをつけた。

◆七難八苦を意識しないと「ゆでガエル」になる

今回のルームを立てるにあたり、ぼくがもっとも意識したのは介護や障害者支援の現場における「逆虐待」だった。そういった業界とはまったく無関係な仕事をしているぼくですら、現場で働く人たちが高齢者や障がい者から時に暴力をふるわれている、という話はしばしば聞くし、実際に目にしたこともある。

あるスピーカーの方は「人が噛まれていい職場などない」と言ってくれた。まさにその通りなのだが、現場では「噛まれるのは対応が下手だから」という論がまかり通っているという。

動物園で園の規定通りに働いていた飼育員がライオンに噛まれたら、問題は園側の管理態勢にあるはずだ。飼育員の責任とする園の姿勢は働く人にとってまさに災いでしかない。

「逆虐待」についても、関係するプレイヤーおよび社会が同様の認識を共有できなければ、事態は改善に向けて動き出さない。問題を抱えたまま漫然と時が過ぎているのは、現場も社会もゆっくりと悪化する状況に慣れてしまっているせいではなかろうか。

「ゆでガエル」を脱するカギは自我を取り戻すことにある。話を聞いていて、ぼく自身はそう強く感じた。

◆教えてもらった「窓」の存在

さて、偉そうなことを書いてきたが、ぼく自身はどうなのか……ルームの後半はそちらに風向きが変わった。自身を省みて、もはや七難八苦と呼べるものはやってこない気がする。

もちろん、災厄はあるだろうが、予測可能であり対処もしくは諦めることで、ダメージを引きずらない。実際、ここ数年来、そういう日々が続いている。頭の中にあるのはかつて好きだったドラマの決めゼリフだ。

「運が悪けりゃ死ぬだけさ」

アクションコメディドラマのセリフに依存するなぞ中二病の極みだが、年齢的に「死」を受け入れられることもあり、この言葉の前にはいかなる災厄も霧散する。

そういう生き方は退屈ではないのか? まだ知らないこと、体験すべきことが残っているのではないか? さまざまな言葉をもらえたのは、とてもありがたい体験だった。「ジョハリの窓」に照らすと、他者が認識していて、本人が認識していない領域というのが大きく残っているようだ。

◆まとめ


ある出来事を災厄と認識するかどうかは、それに出合った人の感性による。「ゆでガエル」になって感性の悲鳴に気づかないのは危険だが、痛みを認識しない強さは生きやすさにつながる。

とはいえ、痛みなき人生は退屈ではある。「七難八苦」を与えたまえ、と念じた山中幸盛には人生の目的があった。適度な快適と快楽を目的とする以上、「スパイスとして楽しめる程度の苦難を与えたまえ」とでも願うか。


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