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倶楽部サピオセクシャル日記119:取り扱い注意!今夜は「べき論」と生きづらさについて語り合ってみる

この部屋を始める前に紙に書いた私のメモにはこうある。

こうすべき(should)→こうしたい(want)

ふむふむ。

他者と話す時、私は相手に「〜(なになに)すべき」とは、あまり言わないようにしている。
もう少し正確に言えば、意識してそうしているというよりも、無意識的にそうしているかもしれない。

以前は意識して、他者の考えを尊重していた気がする。

昔の私は、相手には相手の考えがある、ということに理解が及ばなかった。
でも、色々な経験を積むなかで、人の価値観は本当に多様なんだ、と実感してきた。
だから、いまは以前よりも他者を尊重できるようになった。
もちろん、いつもそう出来ているとは言えないけれど。

相手にこうしてほしい、と思うから「私は〜して欲しい」という言い方をする。

もちろん、仕事などで義務が発生し「〜すべき」と言わざるを得ない場面というのはある。
でも、それ以外の多くの場面にそのルールは適用しない。

繰り返しになるが、こうすべきと思うのは私であって、相手には相手の価値観(何をしたって自分の自由じゃん)がある、と私は考えている。

たとえ私がこうしてほしくても、相手がしたくなければ、残念だが、仕方がない。
そう。相手の意思を尊重するしかない。
もちろん、相手に伝えてお願いしてみることはいい。
それで相手がこちらのお願いを受け入れてくれて、採用されることもあるだろう。
そうなったらラッキーだ。
でも、無理矢理に相手に従わせることはできない。

そんな風に今の私は思っている。

今回のサピオセクシャル部屋でも「あなたは〇〇と考えるのですね。なるほど。私は△△と考えます」
こんなふうにコミュニケーションをとる、という方がいた。

ここで大事になるのは、主語を「わたし」にすることだ。

「べき論」には「正しさ」とか「正義」が含まれていることがある。
「正しい」って怖いなと思う。
また、正義を振りかざす人も怖いなと思う。
正義の名のもとに「べき論」を振りかざすからだ。

ちなみに、今回の部屋で「べき論」を使うべきでない、という話の流れになることがあった。

でも、ふと考えてみると、これは「べき論」を否定していながら、自分も「べき論」を振りかざす、という構造になっている。
う〜ん。
ややこしい(笑)

自分の「〜すべき」「〜であるべき」を他人に押し付けるべきではない、という「べき論」。

自分の意見や考えだけでなく、他人の意見や考えも尊重すべき、というべき論だ。

ここで新しく登場してくるの第三の考え方が、「ベター論者になること」である。
すなわち、「〜であったほうがよい」という考え方である。

〜した方が良いけど目の前にいるこの人にはそれができない。なぜなら、それはこの人の生き方だし、私には決められないから仕方がない。

こんなふうに考える習慣を身につけるのはどうだろうか。

言い方を変えれば「〜すべき」は理想論である。

自分は相手にこう考えてほしいけれど、相手には相手の考えがある。
「〜であったほうがよい」は現実論である。

ちなみに、話の流れはよく覚えていないが、どこかのタイミングで私は、ビリギャルの著者、坪田信貴氏の『人に迷惑をかけるなと言ってはいけない』という著書を紹介した。

実は私はこの本を読んでないんだけど、たぶん大事なことが書かれていると思うから。
間違っていたらゴメンナサイ。
人に迷惑をかけてはいけないと言われて育ったから、人に迷惑をかけない人生を選ぶのだろう。

また、海外在住の方が「日本は生活しやすいけど、生きづらい」と発言された。
これは名言だと思った。
ほんとにそうだよな〜って思うことが多い。
これも同調圧力にさらされ、まわりの人たちから「〜すべき」と言われる社会だからではないだろうか。

私は生活しやすさよりも、生きやすさを求めている。
生きやすい社会を作っていきたい。
ミクロでも、メゾでも、マクロでも。

そんなことを言って、今日のまとめを終わりたい。

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