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倶楽部サピオセクシャル日記118:あなたは弱者or強者? 今夜は強弱の理解と定義を語り合う

エレキギターを買った。最近、古着にちょっとはまっており、その日もセコハンショップでジャケットを探していたところ、ふと緋色のエレキギターが目にとまった。完全な衝動買いである。

自慢じゃないが、音楽には疎い。楽譜なんて読めない。たいていのことは頭でこなしてきたが、楽器はそうはいかない。購入から3日、ドレミファソラシドを弾くだけで四苦八苦である。

ずいぶん久しぶりに、完全なる弱者になった。とりあえず、左手の指が痛い。


◆サピオルームに強者少なし

このテーマを立てたきっかけは、常連のDAISUKEさんと飲みに行った際に覚えた小さな感動にある。馴染みのない大阪の下町で、地元に見事に溶け込み、バーのカウンターで眠っている姿を見て、ぼくにはない「強さ」を感じた。

彼はしばしば「できないことが多い」と自身を語る。相方のつよぽんさんもその点は似ており、「自分は弱者だ」と省みる。一方、ぼくは自分を強者だと定義している。もちろん、できないことは多々あるが、自分が重視している評価軸において、上位にいると認識しているためだ。

今回、ルームでそんな「強弱の認識」を明かした人を数えるなら、「自分は弱者」と語る人の方が多かった。日本人らしいネガティブ思考とも言えるし、奥ゆかしさかもしれない。ただ、本心だとしたら、生きにくいのではないか、とも感じる。

今回のルームで、自身を強者だと語ったのはぼくともう一方だけだった。ぼくにとっては自己定義であり、加えて言うなら「覚悟」の問題だと思っている。

ルームでも、いわゆる「無敵の人」は一種の強者だ、という話が出た。失うものがない人には恐怖が少ないのだ。同様の強さは覚悟によっても生まれる。

「運が悪けりゃ死ぬだけさ」
これは、大昔に大好きだったドラマ『俺たちは天使だ』の決めゼリフだが、ぼくはどこかでそんな風に考えている。疑似「無敵の人」になれる呪文のようなものだ。

◆強弱の判断は評価軸の置き所で変わる

強弱の認識は、自分のどの部分に着目するか、により大きく異なる。つよぽんさんは「業務を効率よくこなす能力」において自身は弱者だと語る。マルチタスクが苦手らしい。職種によっては、求められるケースも多いだけに、仕事における弱点に気持ちが向かうのは自然なことかもしれない。

そんな彼だが、Clubhouseで接するぼくからはまぎれもなく強者に見える。本人も語るとおり、話すこと、司会することは得意なのだ。コミュニケーション能力が重視される昨今の世界では、非常に価値の高い能力であり、評価軸だと思う。

『ドラえもん』ののび太はあやとりが得意だ。もしも、小学校の学科にあやとりがあったら、学年トップの成績をおさめるかもしれない。

ただ、世界がそのように有り様を変えたら、みんながあやとりの練習をするだろう。そうなったとき、のび太が出木杉くんに勝てるかどうかは怪しい。ニッチな評価軸に意識の焦点を絞る行為には、その評価軸が人気を得た際には弱者に転落するリスクがある、と認識しておいた方がよさそうだ。

◆強者になれるフィールドを探せ

似て非なるやり方に「強者になれるフィールドを探す」というのがある。自身が得意なことが高く評価されるTribeに所属すれば、そこでは強者でいられる。つよぽんさんにとってはClubhouseがそういう場であるという。

以前、「クラハができる前は、自分はオワコンだと思っていた」と語っていたのを思い出す。スペースもそうだが、音声SNSは特に、コミュニケーション能力の高い人が輝く場である。

ぼく自身は、彼ほどうまく場を切り回せない。基本的にはしゃべりたい人間であって、司会者になるとストレスがたまる。そういう意味でも、ルームを仕切ってくれる彼の存在は大変ありがたい。

妻が語ったように、ぼくはせいぜい「闇」の役割に徹して、治安維持を請け負うくらいでちょうどいいのだろう。そっちの役割では、強者になれる。

◆まとめ

子どものころから、強者になるよう育てられた。それが一家の価値観であり、弟も妹も踏襲している。その分、子ども時代にはしんどい思いもしたが、今、社会と楽に向き合えるのはそのときの「貯金」があるからだ。

とはいえ、今までにそんな過去を振り返ったことはなかった。自身を強者だとも弱者だとも定義していなかった。つよぽんさんの「弱者である」という言葉から、ぼく自身の定義が始まったわけで、対話とは面白いものである。


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