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パフォーマンスいわれ8「サディスティクサーカス1」

東京の大規模フェティシュイベントのひとつに「サディスティク・サーカス」(以下サディスカ)がある。コロナの関係でここ2年は開催されていないが、2002年から続くイベントである。私はこのイベントの常連組の一人であり、サディスカのショー構成には全力で挑んで、ハレのステージで腹切りをしている。

そんな私のショーの軌跡をここで振り返っていこうと思っている。

初回のサディスカについての様々な情報は、すぐに耳に入ってきた。「何かすごいイベントがあったよ」「SMイベントかな」。私はまだ主催者と面識がなかったので、またどこかの集団がお手軽なSMイベントを立ち上げたのか、と思った。実際この頃からSM的なフェティシュイベントが増えだしていた。私はそれらのイベントに参加したわけではないが、「猫も杓子も、、」的な感があり、上から目線で申し訳ないが、ショー作りも知らない素人がステージに立つことに、いささか腹立たしかった。

そして実はこのイベントへの参加をオファー頂いていた。「切腹ショー」の演目で、主催者の内藤巽氏から手紙をもらっていたのだ。ただ、私は流行りのイベントに出たくない、と肩肘張っていた。

私が参加したのは2005年から。内藤氏の心のこもったオファーの手紙に「これ以上無視したら申し訳ない。とりあえず参加してみよう。自分に合うか合わないか、やって見なければわからない」そう思い、出演したのだ。

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会場の雰囲気やどんなものが求められているか把握できなかったので、この年は、フリーなショースタイルを作った。ピアノ奏者を相棒に、即興的なSM切腹ショーにした。蝋燭、逆さ吊り、切腹と、ストリップ劇場スタイルである。

会場の麻布十番にあるクラブ「WAREHOUSE」は超満員。この3年間2回のイベントに確実にお客様はついてい、皆待ち焦がれていた。お客様の熱気が肌から伝わる。「観たい!観るぞ!」と瞳を輝かせてステージを見つめている。こんな熱い眼差しを感じたのは、いつ以来であろうか。私はこのイベントが真剣勝負であると感じた。

やはり人の噂ではわからない。実際に自分が見なければ答えは出ない。私はオファーを蹴っていたことに後悔した。「1回目から出たかったな。自業自得だ」

そして出演者全てが、このイベントに情熱を燃やしている。これこそプロの集団だった。いや、お客様からお金を頂いている以上「プロ」なのだが、この時期、プロといって欲しくないショーも数多くあったので、ついそう思ってしまう。誰でも舞台に上がればプロ、と言うのは大間違いで、いくらフェティシュなショーだとしても、「人様に観せる」と言うことができていなければプロとはいえない。「観せる」「魅せる」この二つができてこそプロだと思うのだ。

「もっと観たい!」と言う情熱を持ったお客様に囲まれて、大満足でステージを降りた。このイベントは強い!どこにも負けない気構えがある。本気だ。ステージを降りた瞬間から、次のステージを作りたくなっていた。もっと魅せるショーを作ろう。

サディスカと私の歩みは、ここから始まった。


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