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氷菓を口にして

初回限定盤の書籍「盗作」を読んですぐこの感想を書き始めた。SNSで書き込んだり、友達と語り合ったりしようとも思ったが、たかだか140文字で表せる表現力も無かったし、それに、この溢れ出そうな感情を誰かと分かち合うのも惜しいなと、思った。
この衝撃と感情を言葉にできればいいなと思う。

まず初めは楽曲について、
6月に「春ひさぎ」のMVが出た時にまず思ったのは、ヨルシカってこんな曲作れるんだってことだった。その前の2曲が、映画『泣けない私は猫をかぶる』の主題歌「夜行」、「花に亡霊」でありアコギを使ったとても綺麗で切ない曲調だったためそのギャップに面食らってしまった。しかしそれに抵抗感があるということではなく、suisさんの低音は素敵で、新しいヨルシカを見れるのがとても楽しみだった。

概要欄やアルバム名公開によって次のアルバムのコンセプトが盗作であることがわかり、攻めたコンセプトだなと思うと同時に「夜行」や「花に亡霊」をどう落とし込むのかなど興味が湧いた。
(これに関してはインタビューで、主題歌として作った訳ではなく、あくまで『盗作』の中の2曲を主題歌として使ったと知り、それがあそこまでハマることに驚いた)

その後「思想犯」、「盗作」のMVが公開され、この2つは楽曲単体としても自分が好きな音楽だったのでより一層アルバム発売への熱気が高まった。

発売日はずっとそわそわしてて、日付が切り替わった瞬間からアルバムを聴き始めた。
(実は完全受注生産版を予約できず落ち込んでてアルバムを買うかどうかは曲を全部聞いて決めようと思っていた。すぐ買った。)

アルバムの構成としては、前作前々作の『だから僕は音楽をやめた』、『エルマ』のようにアルバム内の楽曲順と時間軸が逆になっているようで、suisさんの歌声が男っぽい低音が効いた太い歌い方から、高音が効いた少し幼げな透き通る声になっていくのが印象的だった。
一巡して私の印象に残った曲は「レプリカント」で、その歌詞は何より美しかった。
「心以外は偽物だ」
「言葉以外は偽物だ」
「あんたの価値観なんて偽物だ」
「他人の為に生きられない」
「さよなら以外全部塵」
心を見透かされているような、今まで筆舌出来なかった感情をやっと吐き出せたような気持ちになって涙が止まらなかった。これは小説を読まないといけないと、そう思った。


やっと小説の感想を書くことができる。
心待ちにしてたアルバムが漸く届き、それを手に取ると、ずっしりと確かな重みがあり、ざらざらとした心地良い手触りがした。まずはアルバムを頭から再生しながら歌詞を眺め、頁を捲る。一巡してついに小説を辿り着いた。1頁目は「「俺は泥棒である。」というもはや見慣れた書き出しから始まった。

泥棒である男の回顧録を盗み見るように、男の妻や少年との出会いから別れまでを知った。
私が特に印象に残ったのは、男が音楽を始めたきっかけだった。
「満たされると思ったからだ」と男は言った。
「盗作」や「思想犯」の曲中にも出てくる言葉だった。妙に納得できた。
人に比べて何かが足りないと思ったことは無いかという問いに、少年と共に考え、少年の「お父さん」という答えと共に自分の答えも出て、涙が零れた。

視点を小説から私の話に移る。
これまで音楽にあまり興味がなかった私は、n-bunaさんの影響も少なからずあり、最近音楽に熱中し、作曲も試み始めた。
これまで音楽にあまり興味がなかったのにも理由があった。
私は物心がついた時から右耳が聞こえなかった。
常人の半分ほどしか満足に音楽を楽しめないからと、その魅力に気づけないでいた。
その魅力、魔力ともいうべきそれに本当に気付いたのは昨年の夏だったかもしれない。

大学4年の夏、私は自分が何をしたいのか分からず、それが耐えられなくて写真を撮ったり絵を描いたりしていた。その間はすごく楽しくて、でも本当に満足できるものは作れなかった。そんな時にヨルシカのアルバムが出た。
私はすぐにその世界に飲み込まれて、エイミーの生き方に憧れてしまった。
その中でも1番好きなのは「八月、某、月明かり」だった。
「何もいらない」から始まる歌い出しも、ギターリフも、最低だと歌う歌詞も、27歳思想も、見たことない街並みも、何よりラストの泣き叫ぶような疾走感が好きで、今でも聞くと泣けてくる。

ここから本格的にヨルシカにハマり、音楽にハマり、ついにはDTMにも手を出し始めた。音楽を知るほど、DTMを学ぶほど、自分のハンデを痛感した。

だから、僕に足りないのは「音」だとわかった。
向き不向きでいえば後者であるが、足りないものを埋めようとするのは間違いではないと言われた気がして、泣いた。
聞こえない分まで、人の倍音楽を聞けばいいんだと気付いた。

音楽の美しさに気づかせてくれたのも、それを間違いじゃないと教えてくれたのも、私にとってはヨルシカもといn-bunaさんだった。


作中で男は言う。作曲家が人殺しをしたとしても、その人が作った音楽に罪はない。作品の価値は他者からの評価に依存しない。そしてこれがn-bunaさんの根底にある価値観なんだろうと思った。

それに納得する一方で私は思う。音楽の絶対的な価値はそうかもしれない。しかし私から見た価値はどうなんだろうと。私の価値観は。
私がヨルシカを聞く時にある期待感や希望は、その名前によるものだろうか。否、これはそんな表面的で薄っぺらいものではない。自分の欠点や好みや経験、ヨルシカへの感謝と憧れ、それらが幾層にも積み重なりフィルターとなっている。
この色眼鏡こそが私の価値観であると、思った。
だから、

私はこの色眼鏡を、私の価値観を愛している。
フィルター越しの景色を愛している。

ヨルシカを愛している。

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