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えだまめ
いまの彼氏と付き合って8ヶ月になる。
生涯好きだと思えるひとと離れ、色褪せた日々をやり過ごすために、マッチングアプリをインストールしたのがちょうど2年前。
そして「これはある種の社会勉強だ」と、大義名分を吐き散らしながら1年半スワイプを繰り返し、今の彼氏と出会った。
今でも忘れられない人がいることは、「付き合って欲しい」と言われた晩に話した。そして理解してもらった上で付き合った。誰かと付き合ったからといって、その人を忘れることはできないと盲信していたので、これは最低限の誠意だと思った。一方で小狡い保身だという自覚もあった。大袈裟に肩の荷を下ろした。
そうして付き合ったカップルの現在であるが、なんと2週間に1回のペースでド派手な大喧嘩を繰り返している。
普段の仲は決して悪くないし、一緒に過ごす日々は楽しいと思う。だからどんな大喧嘩をしたとしても、週末は彼氏の家に行きたいと思うし、片道1時間以上かかる電車に乗ってノコノコ会いに行く。でも共に過ごすうちにつまらないことで喧嘩をしてしまう。
原因は主に人間性の違いだが、もっと踏み込んで言えば、相手を顧みない私の言動が火種となっている。
しかし私は、自分が人を顧みることのできない人間だとは思わないのである。
ここはふんぞり返って言わせてもらおう。
なぜなら私の独善性が十二分に発揮されてしまうのは、いまの彼氏と母親の前に限られている(※と自分では思っている)からである。
私は基本的に、誰にでも優しいとまではいかないが誰かの助けになれる人間でいたいと思う。
さらに自分の守りたい人に対しては、全神経を集中して「顧みる人」であろうとするのだ。
まさに過去の恋愛における私がこれにあたる。好きな人を前にした過去の私は、「絶対に嫌われたくない、迷惑をかけたくない」という思いが脳から大過剰分泌し、決して自分の主義主張を通そうとはしなかった。
我儘というものはあくまで「可愛いなあ」と思ってもらえる範囲の小さなお願い(※と自分では思っている)に留めるべきだと考え、そしてその人の望みとあれば、いつでも身を引けるような覚悟を決めていた。
今思えばそれは武士のような心持ちであった。
好きな人との関係性を良好に保つために、自分の姑息さはひた隠しにし、純真で凛とした気持ちを前面に押し出すように最大限努力した。
感情が爆発して涙を流すことも多々あったが、「そんなことで泣かなくても大丈夫」「でもそういう風に笑ったり泣いたりするのが良いところ」という相手の言葉に甘え、支えられ、どうにかこうにか意地汚い部分を見せないままに、1年間を駆け抜けた(※と自分では思っている)。
私はそんな私が大好きだった。
その人と過ごしたそんな日々も、その人からもらったそんな言葉も。全てがひたむきな純真さの土台に形成された愛すべきものだ。
ほんとうに大好きだ。今でも思う。
だが、ようやくできた彼氏を前にした、現在の私はと言うと。
前提として今の彼氏のことは、これまで好きになってきた人とは真逆の人だという理解をしていた。故に私は、いつまでも過去の思い出と比較をし、違和感ばかりに目を向けた。
そして自分の思い通りに事が運ばないと、感情に任せて相手の気持ちがまるで分からないかのような振る舞いを見せた。私に気づかない方が悪いのだと、気づかないフリをして見せた。
無駄だと分かっていても、過去に触れた言葉と同じ質感のものを求めて悪あがきをした。
相手の悲しみには目を向けてこなかった。
余裕がなかった。
ここまで来ても、私は私を守るのに必死だった。相手のアプローチが何故か受け付けられなかった。ついには「俺へのリスペクトがない」と言わせてしまった。返す言葉に詰まった。
情けなくて自分が嫌いになった。
久々に胸の奥に重さを感じた。
ラボにも行かず、枝豆を2kg茹でていたら長く茹ですぎた。美味しくなくてもっと落ち込んだ。
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今なら気づくことがある。
私はこの8ヶ月、「彼氏は私の大事なところを見つけてくれない、全く感性の合わない人間だ」と思い込み、諦念と不満の混じった気持ちで彼に接していた。
言い換えれば、常に逃げ道をいくつか確保している状態だった。「忘れられない人がいる」と告げた晩から、私は一歩も前に進もうとしていなかった。手を引いてくれる彼氏に甘えきっていたのである。
相手からの言葉や気持ちを斜に構えながら受け取り、希望ある未来には目を逸らし、のらりくらりと生きてきた。そんな人間の核心を見つめろと言う方が、そもそも無理な話だろう。相手はローマ教皇や釈迦ではない。我は神なりと言わんばかりの傲慢さは、じわじわと自身の首を絞め続けた。
ここ1ヶ月の間は特に、「数ヶ月前に戻りたい」と強く思うようになった。
―言ってはいけないことを言った。
―相手を傷つけた。
―知られたくない面を見せてしまった。
―こういう言葉を言わせる相手が悪い。
自己嫌悪は敵対心の皮を被って増幅し、リセット衝動の波を呼んだ。
心の奥に居座る諦念も相まって、「今更謝ったってもう無理だ、全て知られたのだから」と思った。ろくに謝りもしなかった。もう消え去りたいという思いが強かった。
そしてついに、少し前の喧嘩で「付き合って1年を迎えるまでに、私の悪癖が治らないならば別れて欲しい。あなたを傷つけるのは辛いから。」と言った。今すぐに別れたい訳では無いが、どこかでケジメを付けなければならないと思ったのだ。対する彼氏は「そういう後ろ向きな話は取り合いたくない」と言った。いや、言ってくれたのである。
その直後に性懲りも無く、私は我田引水、傍若無人な振る舞いを見せ、彼氏を深く失望させた。それが一昨日のことである。先日の後ろ向きな話に取り合いたいという申し出が来るのは、4ヶ月後より近い未来のことだろう。
私たちの終末時計の針は、もう恐らく残り1分を切っている。
しかしその時その瞬間になっても「あの人の時はこんな喧嘩にはならなかった。こうなるのはあなたと私の相性がすこぶる悪いせいだ。」と私は言うのだろうか。
そういう言葉を言い放つ前に。
いや今日から毎日心に留めて欲しい、ある出来事をここに残しておこうと思う。そして明日からの私へ、メッセージを送ろうと思う。
バイクでの帰り道、××さんの「○○ちゃんといると、人生楽しいねえ」という言葉がじーんときた。自分もたのしいよ。
拝啓 明日からの私へ。
あなたが過去のようにひたむきな純真さを持ち続けることで、笑顔にできる人がいます。
その人は、ずっと前を向けない私の正面にまわり、「好きだよ」と言ってくれた人です。
どれだけ突き刺し、突き放すような言葉を投げても、何度も耐えて8ヶ月間一緒にいてくれた人です。
あなたは本来、好きな人の前で最大限可愛く振る舞うことが好きなはずです。相手が安らかな日々を生きることを願う人です。
だから見つけて欲しいことを隠したまま逃げないで。もう少し立ち止まって、日常の愛おしさに目を凝らしてみませんか。
将来これを宝物と呼ぶためにも、自分をこれ以上嫌わないためにも、好きな自分でい続けさせてくれる人と、これ以上お別れをしないためにも。
数年後の未来がどうなっているか、今の私には検討もつきません。
でもあなたが駆け寄ってくるのをそっと待つ、あの温かくモチモチな手の存在を忘れないで。
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2023年 8月3日の私より。
感覚的に「いいな」と思ったらおねがいします