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習作 20200721

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前日の雨でぐっしょり濡れた竹林や千畳敷で踊る。これはそのほんの一部。
彼の舞踏を最初に撮ったのがファイルを見ると2014年7月。六年前。そして今。何が変わって何が変わっていないのだろうと、ふと、シャッターを切りながら思う。
私は彼の舞踏に、舞台でではなく屋外で、最初に出会った。そのせいかもしれないが、彼の舞踏は野外がとても似合うと信じている。
その場の空気を時に掻き切り、時に抱き、時にしなだれ。そうして場と共に呼吸する彼の舞踏に、私は息をつめて、ただひたすら息をつめて、一瞬も見逃すものかと対峙する。だから私はいつも、撮影が終わる頃には酸素不足の金魚みたいに喘いでいる。
きっと舞台では相当に計算し、組み立てて、彼は踊るのだろう。一方私とのコラボでは、彼はその計算も組み立ても放棄して在るに違いない。
私はその、場に生まれる舞踏の、唯一の立会人である。しかも動画ではない、写真だ。どんなにシャッターを切ったってぶつ切れだ。私がちょっと油断すれば見逃してしまう、同じシャッターチャンスは二度と訪れない。
そういうところでいつも向き合い続けている。

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