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斉藤章佳著「盗撮をやめられない男たち」扶桑社刊

学生時代私は、自分の下着を盗撮した盗撮犯を警察に突き出したことがある。お気に入りの本屋で立ち読みをしていた際ふと足に何かが当たり下を見たところ、スポーツバックの中にあるレンズがぎらり光るのが見えたのだ。吃驚して振り返った私の足元から鞄をひったくって逃げる犯人を追いかけ腕を掴んだ。本当は心臓が口から飛び出しそうなほど恐怖でバクバク言っていたのだけれども、それでも4階の本屋から1階の派出所まで犯人を引っ張って行った。途中何度も「許して」「もうしません」「お願い」と男は言っていた。派出所に辿り着いた途端私は気を失った。
私の意識が戻るのを待っていた、派出所の警察官と、警察署から飛んできたのだろう警部が、「もしかしたらあなたの下着が映ってるかもしれないんだけど、中身を見ていいかな? 確認しないと何もできないんだ」と言う。構いません、とぶるぶる震えながら応えると、ふたりは鞄からビデオを取り出して、再生していた。しばらくして「二十人分の下着が映ってる。この最後のが君ので間違いない?」と訊かれた。間違いなく自分の下着が映っているのを確認すると、犯人とは別のパトカーに乗せられ署へ。被害届を出すのかと思って待っていると、さっきの警部がこう言うのだ。「今あの男の奥さんが迎えに来るためこっちに向かってるって。あのね、奥さんも子供もいるんだって。娘さん。はじめて捕まったみたいなんだ。それでね、許してあげられないかな。奥さんも子供も可哀想でしょ?」。愕然とした。呆然とした。
しばらく押し黙っていると、重ねて別の警察のひとが私にこう言う。「前科もない人だし。今会社員で、会社にバレたら大変だし。ね、今回だけ、許してあげてよ」。私が、でも、と言い返すと、「君もほら、被害届出すとなると、大変だよいろいろ。ね?」。私はもう、何もいう気力がなくなってしまった。
結局、ひとりで歩けない私を、警察官らがパトカーで自宅まで送り届けてくれたのだが、酷く後味の悪い思いを味わった。お気に入りだった本屋には、半年以上行くことも叶わなかったし、他の本屋に行っても背後をどうしても気にしてしまって、しんどかった。
斉藤先生の「盗撮をやめられない男たち」を読みながら、あの犯人はあの後どうなったのだろう、とぼんやり思った。あの男は、あの後再犯せず、盗撮を卒業できたのだろうか。手放せたのだろうか。それとも繰り返し繰り返し被害者を出したのだろうか。私がそれを知るすべは今のところ、ない。
今、榎本クリニックで行われている性依存症のひとたちのプログラムに、性犯罪被害者として定期的に参加させてもらっている。盗撮でプログラムに通っている人はとても多い印象を受ける。私がプログラムに参加し始めた頃、その一人がこう言った。「盗撮は被害者に触ってもいないし、他の性犯罪に比べたら軽いですよ」と。私は憤ったのを覚えている。
レイプよりも痴漢の方が、痴漢よりも盗撮の方が、罪が軽い、と。何をもってしてそんなことを言うのだろう、彼らは。私には理解できない。
でも、この何年か、プログラムに参加し、彼らと向き合ってきて、今なら、彼らのその認知の歪みも、納得できないわけじゃない。彼らは、被害者の被害その後を知らなさすぎる。
加害者の、加害その後の流れの中に、被害者はほぼほぼ見えない。だからなおさら、彼らは被害者を「見えない」ことにする。見えないことにして、いないことにして、いつのまにか彼らの意識から、都合の悪い被害者は消え去ってゆく。
だから彼らに話を聞くと必ず、自分の家族には申し訳ないという気持ちを強く持っていても、被害者に対してのそれはあまり聞かれない。「被害者の顔を知らない」人も多いし、さっきも書いたが、被害者のその後を全く知らない人が殆どなのだ。だから彼らは余計に、自分にとって見たくない自分の罪から目を逸らし、被害者から目を逸らし、意識を飛ばし、生きている。
でもそれでは、被害者は救われなさ過ぎる。あんまりだ。だから私は彼らと向き合う。被害者の「被害その後」を知ってもらう為に。彼らの加害行為=問題行動は一瞬の出来事かもしれない、盗撮においては被害者に触ってもいないし下手すれば被害者にその場では気づかれさえしていなかったかもしれない、それでも。
盗撮も痴漢もレイプも、どれもこれも「性犯罪」で、等しく被害者が存在しており、そして。被害者は今日も、生き辛さを抱えこの社会の何処かで必死に生きている。彼らに、そのことをちゃんと知ってもらい、自分の罪と向き合ってもらうこと。そして問題行動をやめ続けてもらう為に。今日もまた、向き合う。
そして勘違いしないでほしい、本にも書いてあるけれども、何も特別でも何でもないひとたちが、或る日、盗撮やら下着窃盗やら痴漢やらレイプやら、性犯罪の沼にすっと触れてしまうのだ。嵌っていってしまうのだ。性犯罪者は何も、特別な誰かでは、決してない。どこにでもいる人たち、だ。これは、決してあなたにとって他人事なんかじゃない事柄なんだということを。知ってほしい。

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