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散文詩集

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2024年1月の記事一覧

「たとえば」

たとえばの噺だけど 明日ここからいなくなってもいいよって言われたら どうする? それとも 明日ここからいなくなるよって言われたら どうする? 遠い遠い 遠くのどこかへ 流れてゆく雲のように 流れてゆきたい と たとえば今夜 私が死んだら ふたりの猫たちのご飯は 誰が用意してくれるんだろう おなかを空かせたふたりの猫は 死んだ私の周りで ご飯をせがんで幾日も過ごすのだろうか それとも誰か見つけてくれて ふたりにご飯をあげてくれるだろうか それが心配で それだけが心配で だ

「きっと晴れる」

夕立ち あっという間もなく立ち込めた雲は わんわん泣いて わんわん泣いて きっと私が今朝早起きして ベランダに干してきた洗濯物を 今頃すっかりびしょびしょにしているんだろう どうしてそんなにいっぱいの 涙を溜めていたんだろう そんなにそんなにいっぱいの 涙を溜めていられたんだろう どくどくどくどく溢れてくる 涙はとてもあたたかくて 出掛けた喫茶店の窓から眺める アスファルトは濡れて すっかり濡れて でも夕立ちは もう涙を枯らしたのだろうか 気づいたら 止んでいる これで

「ひらひら」

刺さったガラスの破片が 紅く紅く染まってゆく 水色の波紋が 手のひらの中で泳ぐ ひらひら と きらきらと泳ぐ 硝子の破片が 明かりもない手のひらの中で ―――詩集「対岸」より

「喪失」

言葉が消えてゆく コトバがコトバじゃなくなってゆく 聴覚に異常は在りません いたって普通でしょう 偉そうなお医者さんがいくらそういったって 消えてゆくものは消えてゆくんだ あんたには分からなくても ウレシイという感情は カナシイという感情は ムナシイという感情は やがてコトバだけ一人歩きしはじめ 私から離れてゆく 私はふと立ち止まり 今この胸の中にうずくまる誰かは 一体誰だろうと首をかしげる ウレシイだったかしら カナシイだったかしら ムナシイだったのかしら よく 思い出せ

「破片」

お気に入りの硝子のコップを 思い切り投げつけた 音がしたのだろう 割れる音が 粉々に割れる音が けれど 残っていない 音は消えた 残ったのは 砕け散った破片だけで 砕け散った破片はあちこちに散らばり 思い思いの場所へと飛び散り 私の手から投げつけられた硝子のコップは もうその姿に戻らない ―――詩集「対岸」より

「真夜中の冷蔵庫」

真夜中の冷蔵庫 オレンジがかったあかりで充満している しんと静まり返った冷蔵庫に耳を澄ますと じっと耳を澄ますと 聞こえてくる 聞こえてくる ぷつぷつ ぷつぷつ と 何の音 何の音 発酵してゆく誰かの音が ぷつぷつ ぷつぷつ と 徐々に耳の内奥に 垂れ込んでくる 冷気はやがて冷気ではなくなり 部屋の温度と冷蔵庫とは 境がなくなり 境界線など何処へいったのやら 真夜中の冷蔵庫の前で 何を見つめるでもなく 両眼は何をうつすわけでもなく 真夜中の冷蔵庫 気が付けば 朝になる

「食卓」

家族の食卓は ちゃんと椅子があって 座る場所もきちんと決まっていて 今日の料理にはこのお皿 出す順番もすべて狂い無く さぁ食べましょう 食卓は すっかり華やいで 新しくおろしたテーブルクロスを汚さないようにね スープも温かいうちにどうぞ サラダをかみ砕く音 スープをすする音 時折コップに手を伸ばし 冷たい水が喉を落ちる音   それだけ? 静かに 静かに 静かぁに 食卓はただ食べるという行為のため 家族が集まって食べる行為をするために在るの そこで他の何を 交わす必要も