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約束の記憶 20話

小説の20話です。

もみじは病院へ行った帰りに、かずはのマンションに向かった。

「確かこの辺りのはず‥」

家の近くだったので、車から降りて、歩いて探した。

「あれ?こんなビルあったっけ?」

かずはのマンションがあったはずの場所には、オフィスビルが建っていた。

「え!いつの間に変わったの?」

新しく建ったビルではなかった。

家に帰って、夫に聞いてみると、昔からそのオフィスビルだったと言う。

「ずっと寝ていたから、たくさん夢を見過ぎたんじゃない?」

と言って笑っていた。

私の記憶違いなのか‥。
あのマンションの前を通る時に、かずはの息子の翔に出会って、卒園後も何度か声をかけたことがあった。

なんとなく胸騒ぎがして、保育園のアルバムを探してみた。そこには、どれを見ても、翔の姿がない。

かずはに繋がるものは、もう何もなかった。

病院では原因はわからなかったけど、過度の疲労ということで、安静するように言われただけだった。
体力が戻れば仕事に復帰することもできたけど、辞める決意をした。

夫は絶対反対すると思ったら、意外なことにすんなり承諾してくれた。

「もみじが好きなようにしたらいいよ」

ドラマでしか、聞いたことのないようなセリフをすらっと言うこの男性は、ホントに私の夫なのか‥。

以前の夫は、自分の収入だけでは不安だから、ずっと働いてほしいと言っていたのに。
私が眠っている間に、色んなことがあって、考え方が変わったのかな。

「あとは職場に挨拶にいかなきゃ」

職場の保育園には、体調が戻らないという理由にして、辞めることは伝えていた。
しばらく休んでから復帰したらどうかと、引き止めてもらったけど、気持ちは変わらなかった。

子ども達が帰っていなくなった時間を狙って、職場へ向かった。

私にとっては一年ぶり。
保育園の門をくぐると、遠目に中島園長の姿が見えた。

「浅倉先生!」

園長が手を大きく振っていた。

思わず駆け寄りたくなったけど、まだ走れなくてゆっくり近づいていった。

上司というよりも、母親に会ったような気持ちになって、顔を見た瞬間、思わずうるっとして‥。

心がきゅっとした。

「園長先生、長い間ご心配おかけしました。ご迷惑かけてすみません」

「無事で何よりよ。体動かしていて大丈夫なの?」

背中をぽんぽんしながら、様子を伺っていた。

「はい、少しずつ動かしていますが、しばらく療養が必要みたいです」

「そう、残念だけど、体が一番だから、ゆっくり休んでね。もし戻ってきたくなったら、いつでも歓迎するわ」

園長の優しさに、胸がちょっとチクリとした。

「ありがとうございます。あの‥‥」

「どうしたの?」

「森田翔くんって覚えています?」

全く予想もしてなかったことを聞かれて驚いているのか、違う意味で驚いているのか。
目を見開いて、数秒黙りこんだ。

「‥うちの園の子なの?」

「は‥はい、覚えていませんか?」

頭の中をぐるっと見回しているように、目線を浮かばせてつぶやいた。

「似たような名前は、聞き覚えがあるけど。うちじゃないんじゃない?」

考えながら喋っているようにも見えるけど、気にしすぎなのかな。

「わかりました。変なこと聞いてすみません」

「長い間寝ていたんだから、しょうがないわよ。これからはもっと楽しんでね」

「ありがとうございます。お世話になりました」

他の先生にも挨拶をして、園を後にした。

あれから、一週間。

体調も戻り、いつも通りに動けるようになった。

「おかあさーん、今日のお弁当はなに?」

「なのは、おはよう。今日はお父さんのお弁当だよ!」

「えーお父さんが作ったら、ピーマンいれるからやだぁ」

「文句言わないの。お兄ちゃん起こして、ご飯食べて」

「はーい」
なのはは、むすっとしながらも、うれしそうにたくやを起こしに行った。

私が眠り続けていた間、仕方なしに家事をしていた夫が、料理に目覚めていた。

朝は時々お弁当を作り、夜も早めに帰ってきて、一緒に作るようになった。

今までどおり、家事は全部やるつもりだったのに、夫も子ども達も自分のことは自分でやるようになっていた。

そのおかげで、夢までの一歩を踏み出すことができた。

青森での一年は、今となっては夢なのか現実なのかわからないけど、確実にわたしを変えた。

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やりたいことがあっても
仕事があるから
家族がいるから

仕事優先 家族優先
それが当たり前だし、それでよかった

子どもが好きだったし
保育士の仕事は楽しかった

でも、心のどこかで、何かやり残しているような、まだ何かやらなければならないことが、あるような気がしていた。

でも、それをやると

何かが起こってしまいそうな、見えない恐怖感があって

やりたいことを、できないことに
できない理由を、何かのせいにしていた。

もう後悔はしたくない

心がときめくことをやりたいし

日本の大切な技術を残したい

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それから時は経ち

半年後

同じ志の仲間と共に、古民家カフェを始めた。

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そこでは、日本各地の伝統工芸品を見たり、買ったり、体験することができた。

青森に行ったら、私の作品に会えるだろうか。

その真実を知るのは、もっと後のことだった。


つづく


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