つづく災害に心と財布がもたない自分が不甲斐ない。不甲斐ない私にできること。
生まれて38年ほど経つけれど、初めて「台風って怖いんだ」と思った。
東京近郊に住んでいると、台風といってもちょっと雨が強くなるくらいで、最悪電車が止まるくらいで、死の危険など感じたことはなかった。
でも台風19号は違った。
直撃の前日にイトーヨーカドーに行くも、時すでに遅し。
防災グッズや水やカップ麺は売切れていて、レジには長蛇の列が並び、人々は殺伐としていた。ニュースでは「死者8000人規模?」なんて言われていて、今死ぬ可能性があるかもしれない場所にいると知った。
できうる限りの防災対策はしたけれど、人間最後にできることはもう、祈ることだけなんだなと思った。
幸い自宅にも実家にも被害はなく、メンバーも皆それぞれ無事だった。
台風が去った後は、友人曰く「残酷なくらい綺麗な快晴」で、そして各地の被害状況が徐々に明らかになっていった。
日が経つにつれ、台風で命を落とされた方の数が多くなっていくことをニュースで知らされる。
Facebookのタイムラインには、いつも通りの生活を送っている方もいれば、被災した自宅を片づけている方、寄附を呼びかける方、ボランティア活動にでかける方たちもいた。つらい写真から平和な写真まで様々な投稿であふれ返っていた。
そして私は小さく病んでいった。
英知出版オンラインの連載でも書かせていただいたけれど、災害が起きると、今の映画を届ける活動は社会的に意味のない浅はかな活動ではないのかと悩み、無力感に苛まれる。そして自分の中での活動が停止するのだ。
被災され非日常的な生活を送ることを余儀なくされた方、命を落とされた方やご遺族のことを思うと、できることならすべての寄付の呼びかけに応えられたらどんなにいいか。でも財力がない。しかも今は特にお金がない。だから寄付の呼びかけを見るたびに応えられないという罪悪感に駆られてしまう。
ボランティア活動に行っても体力がないから逆に迷惑をかける。そもそも現地まで行く交通費がない。誰かの車に便乗させてもらうとして、車酔いとトイレが近い私はただのお荷物だ。だから被災地までボランティア活動に出かけている方のFacebookの投稿を見ると、彼らへの尊敬の念が募ると同時に自分を情けなく思う。
台風の時メンバーたちに、大丈夫かと聞いてみたけれど、東北にあるご実家も大丈夫かと聞いてみたりしたけれど、もしも「被災しました」と返ってきていたら、私はどうしていたのだろう。何ができたのだろう。
これからこんな台風が今後当たり前のように起きるという。
つらいけれど、どこかでだれかが被災するのが当たり前になっていくのだ。
そのたびに私は心を重くさせ、動けなくなるのだろうか。
毎回こんな不甲斐ない思いだけして、結局何の役にも立てないのだろうか。
不甲斐ない自分を浮遊した結果、多くの人が大変な思いをされている中、今はこれしかできないと良くも悪くも割り切ることで、自分を救いたいと思った。活動を認めたいと思った。
団体のマスコットキャラクターである映画の妖精フィルとムーのLINEスタンプ。いつも利益は子ども達に映画を届ける活動に使わせていただいていたけれど、年内は台風で被災された方たちに寄付をさせていただければと思う。
集まる金額はそれほど多くないだろうから、台風で困っている方に間接的ではなく直接的に支援している方に託したいと思う。
あまりに微力ではあるけれど、せめてこれだけはやっているということがあるだけで、少しだけ自分が救われた。
100%私が悪い件で喧嘩中の母からLINEがきた。
実家の近所に水没した場所があり、そこに沈んでいた車から昨日近所の方の亡骸が出てきたという。
もしかしたらその亡骸が自分の父や母であってもおかしくはない世の中に、今私たちは生きている。
今できるもう一つのことは、いつ誰と永遠の別れに至っても後悔しないよう、大切な人たちと争わず、敬意と思いやりをもって接することかもしれない。(だから母にももう少ししたら謝ろう)
いつか私たちも被災する。
平和に暮らせていることが、むしろ奇跡に近いだけなのだ。
サポートいただきましたお金はすべて、NPO法人World Theater Projectの活動に使わせていただきます。