これからは障がい(障害 障碍 ハンディキャップ)を持ってる方々から学ぶ


おじさんがおばさんかわからない評論家や
自称イケメン保育士、
だいたい恰幅の良い子沢山母ちゃんが語る

子育ての“ここしたほうがいい系”は

全く当てにならない。笑

先天的や後天的に障害を持った子に
同じことが言えるのだろうか。

毎日学校に通えている子どもにだって、不登校の子どもと同じように接して良いのだ

子どもを信じること/田中茂樹


誤解を恐れずに言うが

私は子どもたちのことを

“障害がある子と同じように接する”

と決めたのだ

言い換えよう。

子どもに
それくらいやさしく接していい
ということを伝えたいのだ


私たちは誰しも、生まれた時は重度障害者のような存在のはず。赤ちゃんは、周囲の大人の助けがないと、座るのも、食べるのも、もちろんトイレだって、1人では何もできず、説明する言葉も持たず、ただ泣くだけ。さらに高齢になれば、できないことも増えていく。

人は障害者として生まれて、障害者として死んでいく。考えようによっては、人生のどこかの段階では、誰もが障害者の当事者なのです。

http://taidanfundan.com/2023/09/16/43/


子どもたちはわかってる
子どもたちは親、大人をよくみている


本当に厳しく育てられた私だから言える

その厳しさが母の愛だったかもしれない
(それも愛 これも愛 きっと愛 松坂慶子ってな。)

だが厳しかったことが
活かされているのは本当にない

そんな母は今もなお他人に厳しい

いっつつも不平不満愚痴文句ばかりで

目の前に映したくないから
会わないようにしてる。笑

母のことは赦せたけれど

本当の赦しというのは
仲良くすることでも
尊重するのことでもなく
“干渉しない”こと

そして赦しとは優しさなのだ
厳しい人はそれだけ赦せないことが多いのだ

これはそんな母から教わったこと

ママ友同士の会話って干渉なんだけど?笑

一人が好きだった私は
ひとりではいられない母に理解できるわけもなく母に振り回され

“ふつう”になってほしかった

ごめんけど
母子家庭 一人っ子育ちの時点で

“ふつう”ではないよね?


だから子どもを

“ふつう”の枠にはめさせないように

私の“固定観念”をぶっ壊してくれるのは子どもたちのおかげ




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