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あるクリスマスの夜のケーキ

私が覚悟を決めたケーキ。

専門的な大学を出て、関連した仕事をしていた20代の最初の頃。
ケーキはおろか、自分の食事はできあがったもの。
時計の短針が頂上から右に傾きはじめた時間によくよく冷えた家の灯をつける。
部屋が寒すぎるからストーブを付け、ひとまずとお風呂で温まりつつ浸かって。
ふと、冷えたお湯だったものに体温をじわじわ奪われては眠りこけていたことに気がつく夜も少なくなかった。


仕事に"疑問符"が浮かびはじめたのはいつ頃だろう。
生活に"仕方ない"がセットになったのはいつ頃だろう。
目の下にくまが住みはじめたのはいつ頃で
鏡に写る顔にマスカラが滲んできたのはいつ?


仕事を変えたいよりも
ちゃんと生活がしたいと思ったことが強かった。
寝て、食べて、本を読んで、友達と長電話して、鏡の前でデートの服を楽しく選びたかった。


今となっては、負けん気ばかりを前に出したオチにして語れるほどになった話。
あの当時の私には、しっぽを巻いて逃げ帰ったように思えてならなかった。

新卒で入った会社を3年を目前にして退社して地元へ帰った。


はじめは、好きだからというよくある理由と、いつかお店を開きたいと思っていたから。
それと誰かの役に立ちたかった。
全くもって異なる仕事に就いてすぐ、よくある洗礼もあったけれど、同じ場所に留まることに、もう重きを置いていない私には痛くも痒くもなかった。
こんにゃろう…と思っては
そんなに悪い顔してるとヒビでも入るぞ、としれっと思うだけ。

学ぶことはたくさんあったけれど、教えてもらった記憶はなくて。
お怒りは受けても、お褒めはあまり覚えていない。
20代も半ばの私はどこまでも飄々と、いっそ相手がイライラするくらい、すましてみせようと過ごしていた。

今思えば、なんて若いんだ、もっとうまいやりようもあるだろうに…思うけれど
きっとそうしなければ踏ん張れなかったのかもしれない。

そうしていたら転機があった。
お店の存続の危機、店長に先輩スタッフにと次々辞めていく。
店長からの辞める前日の電話は「あなたも辞めていいからね。ケーキも断っておいて。」だった気がする。


ケーキ。
そう、その時期はちょうど12月に入る時。
常連さんのクリスマスケーキはいつも店長が作っていた。そのクリスマスケーキ、私は完成形を一度も見たことはなかった。

どうしたもんかと思って、ひとまずお客さんに連絡をしようと電話帳を探す。
「今年、店長がケーキを作れないことになりまして…」
「あらそうなの?残念だわ。」
受話器の向こうに頭をぺこぺこしながら、すいませんと言って次に出てきたのが
「もし、良かったら、私が代わりに作ってもいいでしょうか?もちろん、私で良ければですが…」
なんでそんなことを言えたのか、甚だ不思議だけれど、その時はどうにかしてケーキをお届けしなければという気持ちが強かった。

だってクリスマス。
結構なイベントの日のケーキを「はい、そういう理由ですいませんね。別のお店を探してもらって、お願いしますね。」なんて言えるわけがなかったんだもの。

このクリスマスケーキが、私が覚悟を決めたケーキだった。


たしかこうだった気がする…好みの話をされてた気がする…とても小さい子がいるとか…と思い出しながら
店長がすごいスピードで作るケーキを何度か横目で見た記憶と、オーブンの表示を必死に思い出しながら作ったケーキは、今思い出すのは恥ずかしいくらい。
でもできる限りやった。美味しそうに目に映るように、味も美味しい、きちんとケーキになるようにと祈りを込めてクリームを塗って苺を乗せた。

不恰好だったかな。大丈夫だったかな。美味しかったかな。楽しんでくれたかな。
その年のクリスマスは気が気じゃなかった。
正直、自分はその年のクリスマスケーキを食べたか覚えていない。


忙しい毎日、お店を開けて閉めての繰り返しを続けて、店の店長になってから帰る夜も遅くなった。
しかし疑問符は湧かない日々だった。きっと毎日をこなすことに必死だったんだろう。
どれだけ帰宅が遅くても、デートの約束がやっぱりできなくても、お風呂のお湯が気づけば冷たくなっても、それでも疑問符は浮かばず、きちんとした生活はできてるのかと周りの友人には心配されていても、何も苦ではなかった。

相変わらず、寝るのは遅いし、友達とお出かけもままならない。デートもずっと行っていない。
でも学んだこともあって。
厨房の蒸気で滲まないようにマスカラはウォータープルーフに変えたし、同居しているくまとは仲良くなりつつあって、ちゃんとした生活は自分がかちこちに決めてしまっている固定概念なだけで、案外なんとでもなるということ。
もちろん仕事に疑問符が浮かぶこともあるし、仕方ないは日常茶飯。
それでも、「ごちそうさま」「ありがとう」「嬉しい」「また癒されに来るね」そんな言葉に替えられるものはまだ思いつきそうにない。
あの夜作ったケーキよりも毎年少しずつ上達しているらしい積み重ねた時間と、その向こう側の人たちとの出会いの数はこの仕事を続ける大きな理由になっている。


この前のクリスマスケーキで7回目。
最初は小さかったお孫さんはもうずいぶんと大きくて、次はビターな大人味のショコラケーキにでもしようかと、もう今からクリスマスを企んでいる。

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