見出し画像

今宵は名月~潤の場合【カフェ・ペンギン】

今年僕は、40になる、らしい。

正直あと20年以上働くのか、と毎朝げんなりする。

4月にこの街へ越してきた。妻の佐和子と、ひとり娘のナツキ。
転勤ははじめてではないし、ある程度免疫もあるのだが、どうも今回は流れに乗れない。

今まではどちらかというと、
佐和子のほうが転勤を嫌がっていたのだ。

横浜から離れたくないとギリギリまで拗ねていた。
地方は人間関係が濃いし、それはたぶん、彼女の苦手とすることだったから。

なのに、だ。

佐和子は、このところすこぶる機嫌がいい。

飯もうまく作るようになった。
以前は味が薄く、僕は佐和子の料理にはいつもこっそり醤油をかけて食べていたのだ。

特に、昨日の鮭の塩焼きは旨かった。

いつもならカラカラに焼きすぎるのに、ふっくらとして艶もよく、塩加減もよかった。
思わず飯を2杯食べてしまったほどだ。

佐和子にそう言うと、

「そうでしょう。マーマレードさんに教わったの」

だとさ。
外国人の友達までいるのかとびっくりした。

でも外国の人が鮭の塩焼き上手いって・・?てのがよくわかんないんだけど。



まあ、新しい土地で妻子が機嫌よく過ごしているのはいいことだ。

喜ばしいじゃないか。

あっぱれ。無問題。

・・なのだが。

なぜか僕はずっと、気持ちが晴れない。そして、その理由は薄々自分ではわかっている。

今までは、松本家の人づきあいはどちらかというと僕の担当だった。
結婚式や役所関係、保険や銀行の担当と話をするのも僕。幼稚園の見学だって僕が行ったんだ。

それが、だ。

僕がこの土地でまだ自分のペースを掴めてないのに対して、佐和子はもうしっかりと土地に馴染んでいる。
それは、今までにないことだった。

要するに、自分より妻のほうが楽しそうなのが気にいらないんだ。

そんな、心の狭い男なんだ僕は。


「松本主任」
後輩の安田が、僕をデスクまで呼びつける。

そう。後輩なのに、安田はこの4月から僕の上司になった。

これも、僕の不機嫌のひとつの要因だ。

「・・なんだよ」

わざと仏頂面で安田の前へ行く。

「ちょっと、みんなの前では威張らせてくださいよ」
安田がこっそりと目配せする。

「知るか。お前が新人のとき死ぬほど面倒見たのは誰だ?俺だよ。今さら安田課長なんて呼べるか」

「そこはホラ、組織だからしゃーないでしょ。僕、専務の甥っ子だし、ね」

安田がおどけて目をくるくると動かす。

「忙しいんだから用件言えよ」

「そんな、暇なくせに。潤さん今日、営業行ってきてくれません?。このエリアの飲食店でこの店だけうち、入れてないんです」

安田がGoogleマップのコピーを渡す。
こんもりとした森のなかにポツンとある平屋。

【カフェ・ペンギン】

「なんだここ、山小屋か?」

「違いますよ、昔からある店で・・不思議と潰れないんですよねえ」

「どっかの有名店の系列なのか?税金対策のためにわざと儲からねえようにしてるとか」

「いや、まったく謎なんです」

安田が首をひねる。

「オーナーはミヤタヨシヒコ、という名義になってるんですが、この辺りの店とは付き合いもないらしくて。アルバイトがふたりいるだけ。いつも不在とかで」

「ふうん、なんか怪しい店だな」

「潤さんの経験と鋭い心眼で、正体を見通してくださいよ。こういうのは、潤さんにしか頼めないっす」

まったく調子のいいやつだ。

僕の勤める「ミナモト・ウォーター」は、全国規模の業務用飲料水の会社だ。

飲食店の密集している都心と違い、地方はクライアントが点在しているため、
ある程度地域を固めないと効率が悪くなる。

カフェ・ペンギンを挟むような位置で、うちのクライアントが転々とおり、たしかにここ契約をとれば会社的にはおいしいだろう。

「ま、やってみるかね」

僕は席に戻り、わざと大きくあくびをした。


カフェ・ペンギン。

白い看板にペンギンの絵が書いてある。
こりゃ、素人の絵だな。

安田が言うように、そんなに儲かってそうには見えない。
外装には金をかけていなそうだ。

でもさ、意外とこういう店って美味かったりするんだ。それを見誤っちゃいかん。
そう、「孤独のグルメ」みたいにな。


僕は背広の内ポケットに名刺があるのを確かめながら、ドアを開けた。


チリンチリン。
鈴の音とともに「いらっしゃいませ~」と、のんびりした声がした。

「初めまして。ミナモトウォーター株式会社の松本と申します」

カウンターにいた男性に名刺を差し出す。

いかにも善人そうな、ギャルソンエプロンの男性。
コーヒー豆を挽いていたのか、とてもいい香りがする。

「あ~、すみません。僕アルバイトなんで・・ごめんなさい」
と申し訳なさそうに男性が言う。


なんだ、バイトか。気合いいれて損した。


「そうなんですね、失礼しました。オーナー様はいらっしゃいますか?」

僕はめげずに、営業を仕掛ける。

「あ~、オーナーは月に一回しか来なくて。すみません」

男性がますます困った顔をした。だんだんこちらが悪いことをしてる気になってくる。

「そう・・ですか。では経理の方とか・・」

男性がパアッと明るい表情になった。


「経理なら、マーマレードさんがやってます!呼んできますね」

「ま、マーマ?」
「マーマレードさんです。しばらくおまちください」
なんか、その名前どこかで・・?
僕は記憶を探りながら、ひとり店内に残された。


チリンチリン。

「いや~、今日も暑いねえ・・って、あれ、誰もいないや。あ~喉がカラカラだ」

中年男性が自分でウォーターサーバーまで行き水を注ぐ。
常連客だろう。

うん、形からいってあれはS社のものだな。僕はめざとくチェックする。
S社なら、炭酸水の卸売店とは提携していないだろう。うちの商品でも十分戦えるはずだ。

「あらやだ、いぬい探偵。またサボってるんですか?」

中から女性が出てきた。マーマレードさんだろうか。

「ああ、誰もいなかったから水をいただいてましたよ。こんなにムシムシした天気じゃ、推理も冴えないんでね。ギク川さんからの依頼はいつも面倒なことばっかりだ。・・あ、私はいつもの北極ソーダね」

「はいはい、こーたさん、北極ソーダをいぬいさんにね!・・そして・・あなたはどちらさま?」

北極ソーダ、というネーミングに心をもっていかれそうになっていた僕は、あわてて名刺を取り出す。

「あ、あの、私ミナモトウォーターの松本と申します。このあたり一体の飲食店で、炭酸水を使っていただいておりますので、ぜひカフェ・ペンギンさんでもうちをお使いいただけないかと・・」

「炭酸水ねえ、ごめんなさいね、うちは昔から使ってるとこがあって・・」

マーマレードさんが申し訳なさそうに眉を下げる。
なんのなんの、勝負はここからだ。

「あの、うちは配達まで自社でやりますし、2割はお安くでお届けできると思います。特に軟水の品揃えは他社よりも豊富でして」

僕がマニュアル通りの説明をしかけると、

「兄ちゃん、やめときなよ。ここはね、普通の店じゃないんだから」

角の席に陣取った「探偵」が、いままさに出来上がったばかりの青いソーダを持ち上げて言った。

その色合い、透明度に僕はびっくりした。

あんなに自然な色の青が出せるのか。
どこのシロップを使ってるんだろう。

「いぬいさ~ん。また、そんなこと言ったら変な店と思われちゃいますから~」

こーた、とよばれた青年が僕を見てにっこりする。

「うちはね、ちょっと特別なところから仕入れてるの。だから、ごめんなさいね」

マーマレードさんが目配せすると、

「よかったら、ひと休みいかがですか」
こーたさんが水とおしぼりをもってくる。

「あ・・はあ・・」

僕は次の瞬間には、カウンターに座っていた。レトロなインテリアと、一見普通だがセンスのいい食器類。

ちくしょう、落ち着くじゃないか。

「お詫びに北極ソーダ、ご馳走しますよ」

こーたさんが目の前に例のソーダを置く。

すごい透明感だ。


その辺の市販のシロップでは、この色は出ないはずだ。
気になる。気になるぞ。何が違うんだ?

ひとくち飲む。

僕はその爽やかな味にびっくりした。
ソーダの爽快な喉ごしとほどよい甘さ。そして、心地よく浮かんだバニラアイス。

なんだろう、緊張がゆるんでいくような、懐かしい気分。

「よかったら、こちらも」
こーたさんがマイクを差し出す。ん?カラオケもあるのか。
いやいやまだ仕事中・・まあ、いいか。

思い切り歌った。
変なプライドや、わだかまりも馬鹿みたいに小さくなっていた。

まだまだ、俺は捨てたもんじゃないぞ。

根拠はないけれど、そう思った。

気がつけば、探偵はもうすでにいなくなっている。外は夕暮れが迫っていた。

「男のひとは大変よね。でもここにきたら元気でるわよ。うちの料理やドリンクが美味しいのは、こびとの魔法がかかってるからなの」

マーマレードさんが、帰り際こそっと教えてくれた。
「あなたの仕事相手にはなれないけど、あなたを笑顔にすることはできる。笑顔なら仕事も、自然とうまくいくものよ」

僕は、夢のような気分で会社に戻った。

もうすっかり定時を過ぎていた。
あれは、現実だったのだろうか。
それとも、狸にばかされたか?

「潤さん、どうでした?」
安田が僕を見つけて走ってきた。

「ああ、あそこはだめだ」
僕の言葉に、安田は顔をしかめる。
「やっぱり、怪しい店でしたか」
「いいや」

僕は首を振った。

「元気の出るこびとの店だ」
「はあ?」
「こびとだよ、こびと。知らないのか」
怪訝な顔をした安田を尻目に、僕はいそいそと帰り支度をする。

今夜は月がきれいだ。はやく家に帰ろう。

帰ったら、佐和子に話そう。

森の奥にこびとの店があったぞ、一緒に行かないか、って。

☕️☕️☕️☕️☕️☕️☕️☕️☕️☕️☕️☕️☕️☕️☕️☕️
6月15日(水)配信の「カフェ・ペンギン」は、いぬい探偵こと
いぬいゆうたさんがゲスト!

どんな魔法がかかるんでしょうか?
お楽しみに☺️


潤さんの奥様、佐和子さん回でいただきました!ありがとうございます!








ピリカグランプリの賞金に充てさせていただきます。 お気持ち、ありがとうございます!