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ピリカ目線~ここで汗かいて生きてくんだ

5月の文学フリマで、noteのみんなと会うという願いを叶えてしまってから、次の目標が見えずにいた。

仕事でもそうなのだ。

私は目標を達成したあと、足が止まる癖がある。次の目標にしなやかにシフトする、というのが下手である。
全力で走って翌日から寝込み、しばらく起き上がれないのである。

多くのnoterさんと言葉を交わし、せやま南天先生を迎え、豪華ゲストと三周年のLIVE配信もできた。いままでの集大成としては盛大で、華麗なフィナーレだった。

完璧だ。

完璧すぎて、その後のビジョンが見えてこなかった。

秋のピリカグランプリまでは、全力疾走する理由がある。テーマもメインのバナー画像も決まり、そろそろ審査員さんに収集をかける時期である。
お祭りのはじまりだ。

でも、それが終わったら?

ピリカグランプリも、第一回のP1グランプリから2021冬、2022夏、2023春、そして2024秋、と一巡した。

一巡するまでは頑張らねば、と思っていたのではからずも目標が達成してしまうのだ。

未来展望型の私は、うまく過去を味わえない。今はすぐに過去になる。
未来のビジョンをまた探さねば不安になってしまうのである。

前置きが長くなった。
要するに、願いを叶えすぎたのだ。

コッシーさんしか知らないことであるが、彼にこっそり、秋ピリカが終わったら、私の代わりに音声配信「すまいるスパイス」を運営してくれないだろうか?
と相談したことがあった。

コッシーさんとしては即答できない内容だったと思う。「しばらく考えさせてください」とのことだった。
仕事も忙しい中、創作大賞に真摯に取り組んでらっしゃったコッシーさん。
メンバーになる、より「運営する」のは負荷も大きいだろうとは思ったが、そのときはもう私の役目は終わったのではないだろうか、誰かにしばらく引き継いでもらえたら、という気分で満々だったのだ。

(なのでやりのこしたことがないように、とすまスパは7月~8月に怒涛のゲストさん回なのです)

だが、今日大切な人がこれからnoteを更新しない、との知らせを受けた。

ショックで、手が震えた。涙も出た。
彼女の声でその文章を読んだ。

彼女は何回も番組に出てくれた。
やわらかい声でみんなを励ましてくれたひと。


人は進化していく。

私たちは道の途中で出会っただけ。その道筋はそれぞれ違うのだ。
別れる寂しさをぶつけて、そのひとの歩みを止めるのは野暮である。

でも、そのひとがこの時代に、この場所にいた証を残していきたいと思った。
もちろん、新しい名札をつけてまた復帰されるだろうけれど、あの日あの時、あの場所で共に語った日々は完璧には再現できないだろう。

時間とはそういうものだ。

守りたいと思った。

誰に任せることなく、私が。


だから、黒ひょうらしくさらっと余力を残して去るのはやめた。


汗かきながら、泥臭く、誰がなんといおうと
私はここに踏ん張ることを決めた。
誰も配信を聞かなくなる日が来ても、細々と灯りをともしていきたいのだ。

また見つけてもらえるように。
彼女だけでなく、これからいろんな決断をする誰かのために。

襷を受け取った、と勝手に思っている。


私は動く人だ。
見送るよりは見送られたい人である。
責任が重くなると、さらっとかわしたくなる、小さい人間なのだ。

定点で留まるのは苦手だ。

だけど、ここにいることにした。
これは私のこれからの挑戦だよ。

ありがとう、また会おうね。
悩みながら、逃げ出しそうになりながら、ここで待ってるよ。





ピリカグランプリの賞金に充てさせていただきます。 お気持ち、ありがとうございます!