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とある性自傷について

母からさらりと告げられた。へぇ、と思った。だけだった。
ところが話は続いた。容姿、性格の特徴など。知りたいわけがなかった。興味のないように本をめくりながら、心の中では必死に耳を塞いでいた。知らなかった。知らされていなかった。隠されていたのか、隠してくれていたのか。どちらにせよ、もう終わってしまった。

幼馴染に恋人がいるらしい。年中さんのときに転園してきて、その日のうちに事故が起きた。2人とも前を向いておらず、出会い頭に額をぶつけて謝りあった。深刻な謝罪だったのに、状況に思わず笑い出してしまって、もうずっと前から仲が良かったようにゲラゲラとしばらく止まらなかった。冗談半分、でももう半分は本気で、私達はあの時入れ替わったんだと思う。切っても切れない関係になった。それからずっと仲良しだった。いや、中学2年生の時はちょっと亀裂が入った。どちらのせいとも言えない、強いて言うなら私の態度が悪かった。あの頃は色々と上手く行っていなかった。八つ当たりだった。

それでも切れることはなかった。出会って10周年を迎える時期にアルバムを作って贈ってくれた。手作りでギミックの込んだ楽しい一冊であった。一生の親友であると信じて疑えない相手からの10年間をまとめたアルバムなど、また一生の宝物になるほかなかった。

小学校は別々だったが、中高は一貫の同じ学校に通った。女子校らしい過激とも言えそうなスキンシップが彼女に向けられるのを見かけてはどこか抉られるような心地だった。まだ気付いてはいなかった。いや発生してもいなかったのかもしれない。焦るような諦めるような心地で、他の女の子に目をやった。発端は小学生の時、同性にふざけ調子で告白されたことである。冗談だと思っていたが、割と真剣だったのではないかと考え直すほどに、自分が適当にあしらってしまった事の重大さに気付いていった。もしそこに本当の気持ちがあったとて、正面から伝えるのにはまだこの世は適応していなかった。とりあえず様子見程度に投げかけてみるのが出来るギリギリの範囲である。しかし、曖昧な表現をされてしまったのだから、瞬時に考え至れなかったことにそこまでの責任はない、そう気付けたのが遅かった。莫大な罪悪感に苛まれて、償うように同性を好きになるようになった。

とはいっても元々その素質が全くなかった訳ではないように思う。必然であったのかもしれない。だから恨むこともない。だが、同じ人間を増やしたくない。一般的でない恋愛というのは相当厳しい。精神のほとんどを費やして対象物を好きになるのに、それを否定されてしまうのである。アイデンティティの喪失にも近い。体感してほしくない。こんな辛いなら知らない方が良い。だからその気がない子には想いを伝えることもない。たとえ好きになってもらえるとしても、その後を保証できない。

例の幼馴染を凪ちゃんとする。凪ちゃんに彼氏がいたことに関しては純粋なダメージを負うだけだったが、それを母親から聞かされたことへの屈辱感は拭えず、腹いせに己の潔白を蔑ろにしようと思った。短絡的で衝動性の高い行動パターンを持っている。SNSで出会い系の投稿をする。その時の内容はいまいち覚えていない、もしかすると募集元に問い合わせただけかもしれない。前者ならば送信した途端にワラワラと集まってくるのを見て心底気持ち悪いと感じたことだろう。適当にやりとりをして今日会えるという浪人生と約束をした。塾の面談で外出する予定があったので怪しまれず駅に向かった。しかし間違えて塾へ行く方向の電車に乗ってしまった。ああ嫌なんだなと思って、帰ろうかとも迷ったが、大打撃を受けた精神は容易に曲げることが出来なかった。最低な屈辱を味わいたかった。なんでもいいから死にたい、死ななければならない。殺されるんだろうと期待していた。インターネットで人と会うのすら初めてだった。悪いイメージしかなく、今日の最期はどうせ誘拐か虐殺だろうと思っていた。信じていた感情が信じていたものではなかった。純粋に親友であり続けられる、このままそれぞれ別の道を行くが、寂しくも応援したい、そんな可愛いものではなかった。カラフルでファンシーな卵を温めていたら、ふとしたきっかけに割れてしまって異形の血沼が溢れ出てきた。このまま温めていたらどんな怪物が誕生してしまっていたのか、分からない。もう手とか繋いだのかな。そんなわけないよな、もう高校生だし、脳内でぐるぐる、いや凪ちゃんはそんな子じゃないとか、さすがに早すぎるとか、そんなん当たり前だとか、なんで私じゃないんだろう、スイミングスクールのバス内で、凪ちゃんの初めてのキスをしたのに、2回もしたのに、そんなこと、とっくに忘れてしまったのだろうか。抱えていたんだ、ずっと昔から、知りたくなかった、気付かないままで、純粋に違う人生を歩めれば、介入欲求ないまま、凪ちゃんにとって気を許せるだけの一緒に居て楽しいだけのなんでも話せちゃうだけの隠し事は明るいサプライズのためだけの、駄目だ、幾ら重なろうが満たされない、それどころか更に欲しくなって、足りなくて、嫉妬に溺れて、寂しくて、混乱しながら、夜の東新宿を見知らぬ男性と腕を組んで歩いていた。不思議と怖くもなくて、短く浅く濃く淡いような男女が、ネオンの華やぐ夜の街に交差して行くのに感心しながら足並みを揃えた。

行為を詳細に記すべきかと当時の日記を辿ったが、気持ち悪くてどうも書く気になれない。消費されるだけの存在になれて嬉しいような、またどこか夢見ているような怪文書である。思春期のアスペルガー少女そのものという感じで、淡々と済ませればいいものを、まるで相手に好意を持っているように振る舞っている。おそらくホスピタリティの狂気なのか、それかもしかすると自分に言い聞かせているのか、またそのどちらもを含有しているのか知らないが、とにかく気持ちが、悪いのであった。精一杯粧化し込んで、待ち合わせに現れた普通の人間に安堵して、ホテル街を歩き回り、脱いで浴びて、初めてに高揚しつつ、見覚えのある指示に従って、いつか聞いた声を真似て、痛んで傷んで悼んで、そんな自分が面白くて笑った。別れ際にハグをねだったらしかった。本来スキンシップすら苦手で肩を叩かれただけで払いのけるような私は、もうそこにはいなかった。最後の方に、なんだこんなもんか、とも述べてあった。終わりの始まりであったのかもしれない。

吉澤嘉代子の「残ってる」が好きだった。気になっていた先輩に流れで簡単に体を許してしまった女子大生の歌、らしい。よく書かれている解説の一つであるため、全然他の解釈もあり得るが、私はこれが一番のお気に入りだった。でも、状況や心理がなんとなく理解できても、共感はできない。だからはやく経験してみたい気持ちがあった。その切なさや、あっけなさ、ささやかで膨大な後悔を味わってみたかった。しかし、分からなかった。代わりに侵された聖域が荒んでいくのが心地よくて、もっと自分を壊したくなった。重大な欠落として、快楽がなかった。不感症らしかった。感覚的な快感がない。 自分は何も得ずに失い、相手だけが満足して去っていく。用が済んだら不要になり、1人になる。いや、私はずっと1人なのである。最初から求められているのは私自身ではなく、身体、どちらかといえば概念と物体としての女性である。男性でなかったから好きな人の選択の範疇にもなれなかった私にとって、女性であることを利用されるのは、最高の自傷なのである。そういえば、苦痛を娯楽に昇華させたのもまた恋愛からであった。辛いことばかりで耐えられないから、辛いのは自分にとって良いことであると認識を歪めるしかなかった。たくさん辛い思いをしなければならない、辛がらなくてはならない、そういった強迫観念が、潜在的にずっとあった。障害特性でもあるらしい。小中学生で、リストカットとODの習性がほんの少しあった。ふわふわするようなものではなく、ただ吐いて、ただ動けない恐怖を味わうだけのものであった。何かを得てはいけないという信念もあった。だから金銭を要求することもなかった。高値で売れる若い体を無償で提供することにも意味があった。金銭感覚と価値観が壊れてしまうのも恐れていたが、それだけなら売春くらいはしていたのではないかと思う。どうせ最初から壊れていた。

豪語するほど沢山の人と交わったわけでもないが、そのうち状況を危ぶむ気が起きてきた。一生適当な付き合いを続けて身を固められないのではないのではないか。男性を性自傷の道具としてしか見ていない今、友達すらまともに作れなくなってしまった。男性なんてどうせ下心がないと仲良くしないのだろう、根拠として私が女の子に対してそうなのである。付き合いたいと思えなければ仲良くしないし、ただの友達で居続けようとしてもやましい気持ちが湧いてくる。だからもう私には一生友達ができない。男女の友情が成立しないのであれば私は友情など知らないのである。というわけで、恋人が欲しいと思うようになった。人肌恋しいとか、スペックとしてとか、あらゆる理由がある中で、悪い癖を治すために、というのは、真っ当である気がした。ある意味では守ってくれる存在だし、またある意味では簡潔な友人である。ただその実態は、独占権を握り合い互いの要件を満たせばあとは解散する、これまた都合の良い関係なのであった。恋人と友人の違いは、ひとつ将来性とその熱量に反する脆弱さなのではないかと考えているが、今回のはそれに適さず、やはり自分が求めているのは恋人でなく友人なのであろうが、そのような関係は自論上存在しないので、より一般的な恋愛に落とし込めよう、という諦めである。独占権というのは浮気をしない約束を指すが、相手に浮気される分には本来の目的にとって構わないような気もする。しかし懸念として感染症の危険性が高まるのと、それでは相手への情がなく“一般的な恋愛”として成立しないのではないか、があるので、未だ決定できない事項として残しておく。よって現時点で求めているのは“ありふれた恋人”である。ここで、なぜ同性を求めないのかが疑問であろう。幸せになれる方へ進むべきである。いくら自傷癖といえど幸福をまるごと恐れているわけではない。が、いくつか言い訳のような理由もある。第一に、私は人を好きになると他文でも述べたように気が狂ってしまう。ものを失いかけた時の執着心で自滅してしまう。おかしいな、得失の関係性をも自傷としていたというのに、今度は失うのを恐れるなんて、やはり得てしまった分かりやすい幸福は恐ろしい。いずれ失うのなら、それが苦しいのであれば、欲しくない。要らない。次に、出会いがない。身の回りに当たり前には居らず、出現を待つために自ら白状しておくのもそれはそれで社会死しかねない。まだまだ偏見は濃いので、軽率に明かしておくことも難しいし、そのせいで同性との関わりが薄まれば致命的である。そこでインターネットで探してみたが、まともな出会いがない。やっているうちに心が削がれる。大体擦れていて萎えてしまう。そりゃ、今まで好きになったような純粋無垢な乙女などインターネットの巣窟にいるわけがない。ビアンバーも同様である。出会えたとして、凪ちゃんを重ねてしまって仕方ない。そしてなにより、自信がない。女性ばかりは幸せにしてやりたい。しかし経済的にも力及ばす、私なんかでは到底敵わない。一旦は上記の理由から同性は諦める。最愛と結ばれる事が精神衛生によろしくないのである。全く拗らせてしまった。

行為に及んだ人間にまるで興味がなくなってしまう。続いても2、3回で連絡を絶つ。その数回で異常な執着を示すこともある。振られた構図にもなり得るが、関心が返ってきたとしても切ってしまうので、釣れなかったから諦めるというわけでもない。簡単に切れて都合が良いと思いきや、ネトストされたこともある。恐怖体験。やり捨ては一種の病気なのではないかと思う。情が湧くというのも病的である。冷静になったところで女性にとっては人生をかけてリスクを冒してまでも満たしたい相手のためにあるものだが、男性はその限りではない。理屈は分かる。それだけのことをした相手には見返りを求めるかのように関係の続行或いは進展を望んでしまうだろう。一方もう最終地点まで達したすごろくをもう一度遊ぶ気にはなれない。単純な道筋であればあるほど、他にマップが用意されていればいるほど、興味がなくなる。ところが私はどちらもしっくりこない。理解は出来ても共感ができない。「残ってる」と同じ例で、苦しい。理由があるとすれば、快楽が抜け落ちているからなのか、それだけ重要な要素なのか。

性自傷に走ってからスキンシップに対する拒絶が前ほど起こらなくなった。手首を掴まれたり、髪を触られたりした時、どれだけ親しくてもその手を払いのけてキレてしばらく口をきけなかったのに、そういった反応が起きなくなり、従順になった。自我の萎縮、防衛本能の減退であった。幼い頃叩かれたり殴られたり(愛)された恐怖心が染み付いて、“接触=危害”の認識になっていた。かつて触られた時には自分を守らなければならなかった。だがそれも止んだ。時間の解決による成長とも言えようが、触れ合いを傷付くためのものとして受け入れた結果、接触が危害だろうが拒否する必要を失った、とも考えられる。
との状況を受け入れてくれる相手が欲しいのだが、先ず伝えるべきかも戸惑う。言わなければいくらでも見つかるだろうが、付き合っていく上で例えば気分を害された時にはその理由と共に伝えられる方が良いし、気がないことが分かれば変に期待されることもないだろう。いや、人として好きになることは出来るし、全く興味がないとかドライな態度でいるわけでもない。誤解しないで欲しいのが、見かけ・体感は“一般的な恋愛”である。演技力もあるし尽くすし従うし対抗する。ふとした時におままごとに気付く、ただそれだけなのである。いやいや、虚しくさせない、不安にもさせない。そう取り繕うたび、まあ一生見つからないだろうね、と思い直す。
私は構わないのだが、愛情表現が加害になる可能性を踏まえながら示すのは困難かと思われ、隠せと言うのも不憫なので、好意を持たない人間を探すべきである。すると、異性の同性愛者が適合する。世間体としてとか、身内を安心させるためとか、異性を求める同性愛者は他にもいるだろう。もし表面的な関係性のためにつるむのであれば暇には他所に行ってもらって構わないし、お互いその方が気楽で良い。ただこれはそれぞれにあてがある場合の話であって、一方のみにない時なんかには軽薄な嫉妬が生まれるだろうし、よく取り上げられるのには子供は欲しいとか明確な共通の目的がある。上手く行かなそうで、下手をしたらトラウマや嫌悪感情に至りそうだ。それに何より、当初の独占してくれる相手を探すという目的から逸れてしまう。欲しいのは抑止力であってパートナーではない

なるほどパートナーは欲しくないのか、それなら1人でなんとかするべきで、迷惑をかけたくないからと同性は諦めておきながら、異性は巻き込んで良いというのは差別であろう。まあ差別意識は全然あるし男性には全滅していただきたいのだが、申し訳ない、いや頼るのも癪だ。試しにどうなってもいい相手に話すと概念として洒落ているとか言われて苛立っていた。独占のコストを体で払うとか、性乖離が起きないように状況を作って享受するとか、凄く馬鹿馬鹿しい。私は私の力で自傷を止められる…。

そもそも本当にレズビアンなのか。全ての男性が薄ら嫌いではありつつ、面白ければ関わりたいと思うことはあるし、必ず大好きな兄と比較してしまうところがある。どうしようもないブラコンなのである。こだわる気はないのだが、というよりこだわりたくないのだが、凪ちゃん初めてのキスが私なのに対し、私の初めてのキスは兄なのである。そんなことに囚われている気はないのだが。あくまでも兄妹愛であり、恋愛感情に発展することは決してない。兄を個体として好きであるというより、兄妹という概念が好きなのである。が、個体として兄を例に出し、他の男性を比較して劣ると思ってしまう。女性では行われない。兄を探している。カウンセラーの先生にそう言われたことがある。地方に就職した兄の不在に慣れず年上の男性ばかりと連んでいるんでしょう、と。たしかに当時は5個上の男性ばかりとやりとりをしていた。そうなると、そこにあるのも単なる友情ではなく拗らせた兄妹愛である。ここでも私は友達が出来ない。兄妹感情はそれ以上にも以下にもならない。やはりレズビアンである。
初体験は適当な人間で捨ててしまったが、凪ちゃんを起因としているので実質凪ちゃんである。少し気が楽になった。捧げた相手は紛れもなく凪ちゃんだった。

これらをまとめて文学賞に応募したが、1次すら通らなかった。こだわっている時の私の文章とは評価を受けにくいものである。応募規定50枚中4枚白紙で出したのも敗因かと思われるが。
他人と通話する時にもつらつらと述べてみることがある。こういうセクシュアリティらしい、貴方ならどうするか、私はこうしてきた、なにが間違いだったのか、ああ間違いだらけだったのか、と。

依存・執着・衝動性・隣人愛とホスピタリティ・給仕欲求・献身願望・自傷癖・兄妹愛

どうせあるなら殺さず生きていきたい。墜落は望んでいないが、逃げようと踠くのにも疲れてしまった。自分を大切にすることが他人を大切にすることに欠かせないのはもう有名な話である。大切にするというのは守るあまり動けなくなることではない。薄汚れへたっているぬいぐるみがたくさん愛されているように。対峙し、理解できなくともしようと深めていく、途中傷がぶり返そうともいつか癒せるのであればと時間をかける。色々考えても今はなんとなく、一般的な家庭を持って生涯を終えるような気がしている。欲求を封じたわけではない。ある種の幸福は得られるだろうから、ひとつ展望である。もちろん可能性としては女性と付き合えるかもしれない。どちらでもいいんだよ、と思いながら後者を期待してしまうのは、ただ希少性からなのか、諦めきれないからなのか。

大学でやっと仲良くなれた同級生が恋人の話をしているのに狼狽えながら、一生この感覚と付き合っていくのかな、と苦笑いする。決別の仕方もまだ分からない。これからを決めるには私はあまりにも幼すぎるのだ。人と付き合う前に、自分と上手く付き合えないと。振り切れないような曖昧な心地で、しこりの残る思考を放棄した。

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