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釈尊(ブッダ)が阿難尊者(アーナンダ)に伝えた感謝と激励

ブッダとアーナンダ:師と弟子の絆

古代インドにおいて、ブッダ釈尊(ゴータマ・シッダールタ)は悟りを開き、仏教の教えを広めるために多くの弟子たちを集めました。その中でも特に重要な弟子の一人がアーナンダです。アーナンダは、ブッダの従兄弟であり、また彼の最も信頼される弟子の一人として知られています。

アーナンダの背景

アーナンダは、ブッダの教えを忠実に守り、その伝道活動を支えた人物です。彼はブッダの弟子となった後、長い間ブッダに仕え、その教えを聞き、記録する役割を果たしました。アーナンダの名は「喜び」を意味し、その名の通り、彼は常に明るく、人々に喜びを与える存在でした。

ブッダとアーナンダの関係

ブッダとアーナンダの関係は非常に深く、師と弟子の理想的な絆を示しています。アーナンダはブッダの側近として、彼の日常生活や旅の際の世話をする役割を果たしました。また、ブッダの教えを正確に伝えるために、多くの教えを暗記し、後の仏典編纂に大きな貢献をしました。

アーナンダは特に、ブッダの最後の説法を含む多くの教えを記憶し、その後の仏教の発展において重要な役割を果たしました。彼の記憶力と忠実さは、ブッダの教えを後世に伝えるために欠かせないものでした。

アーナンダの試練と悟り

ブッダの入滅(臨終)後、アーナンダは大きな試練に直面しました。彼は多くの弟子たちから批判を受けることもありましたが、その試練を乗り越え、最終的には悟りを開くことができました。アーナンダの苦難と成長の物語は、仏教徒にとって重要な教訓となっています。

まとめ

ブッダとアーナンダの関係は、師と弟子の理想的な関係を示すものであり、その絆は仏教の歴史において重要な位置を占めています。アーナンダの忠実さと努力は、ブッダの教えを後世に伝えるために大きな貢献を果たしました。彼の物語は、仏教徒にとって永遠のインスピレーションとなり続けています。


ブッダとアーナンダの関係における最も感動的なエピソードの一つは、ブッダの臨終に際してのアーナンダの嘆きと、それに対するブッダの感謝と激励です。この出来事は、『大般涅槃経』に記録されています。

ブッダの臨終とアーナンダの嘆き

ブッダが臨終を迎えようとしていた時、彼の最も忠実な弟子であるアーナンダは深い悲しみに包まれていました。ブッダの臨終を知ったアーナンダは、泣き崩れ、嘆き悲しみました。彼はブッダのそばを離れ、涙に暮れながら考えました。

「今、偉大な師であるブッダが私たちの元を去ろうとしている。師の存在なくして、私たちはどうやって教えを守り、広めることができるのだろうか」

ブッダの感謝と激励

アーナンダの嘆きを聞いたブッダは、彼を呼び寄せ、次のように話しました。

「アーナンダよ、あなたの嘆きは理解できる。しかし、私の教えと戒律はあなた方の道標である。私がいなくなった後も、それらをしっかりと守りなさい。あなたがこれまで私に尽くしてくれたことに、心から感謝している。」

ブッダはさらに続けました。

「アーナンダよ、あなたは常に私の側にいて、私を支えてくれた。その忠実さと献身は非常に価値あるものであり、あなたは多くの困難を乗り越え、真実の道を歩んできた。自分を過小評価してはならない。あなた自身が持つ智慧と慈悲の心を信じ、これからも多くの人々を導いていきなさい。」

最後の教え

ブッダはまた、アーナンダをはじめとする弟子たちに対して、以下のような最後の教えを説きました。

「諸行無常であることを理解しなさい。すべての現象は変化し続けるものであり、それを受け入れることが大切です。自らを頼りとし、法を頼りとしなさい。他のものを頼りとしてはならない。私が去った後も、法と戒律をしっかりと守りなさい。」

この言葉を受けたアーナンダは、自身の役割と責任を再認識し、ブッダの教えを後世に伝える決意を新たにしました。

結び

このエピソードは、ブッダとアーナンダの深い絆と、ブッダの慈悲深い教えを象徴しています。ブッダの感謝と激励は、アーナンダだけでなく、後の多くの仏教徒たちにとっても大きな励ましとなり、仏教の教えが永続的に受け継がれていく礎となりました。


今日の所見:
ブッダは素晴らしい行為や理解があったときに「サードゥ・サードゥ・サードゥ」Sadhu(サンスクリット)と称賛されました。漢訳で「善哉」そうです、あの「ぜんざい」の語源です。そのまま読めば「善きかな」です。今風に訳せば「いいね」でしょう。

称賛には深い「感謝」と温かい「激励」そして打ち解けた「共感」のこころが込められています。わたしは、この「サードゥ」が仏教の、つまりブッダの教えの源であると思っています。ブッダは、とても優しいお方であったことが多くの仏典に残っております。

とりわけ「自灯明・法灯明」自らと教えを拠り所として生きていきなさいとうご遺言は、いつも胸を打ちます。涙がこみ上げて参ります。ブッダは悟りを開かれた後の45年間をただ人々の教化に捧げられました。托鉢用の鉢(はつ)と三つの衣(ころも)だけを持って旅を続けられたのです。

尊さとは、威厳でも血統でもありません。人々を思う心の強さでしょうし、それは深い優しさ、慈しみのこころでありましょう。少しでも世の中の役に立ちたいと願っている人々の光なのです。ブッダの光は今も輝いています。それは私たち一人一人の中に、たしかに灯り続けています。

自灯明・法灯明


ご覧下さり有難うございます。
念水庵

参禅堂の内部はヒノキの香りに満ちています。

シンプルな参禅堂(6/29撮影)


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